モデル マイノリティについて考える

モデル マイノリティについて考える

 

モデル マイノリティは、いいマイノリティ?

 

海外で働く日本人なら経験があるであろう、「日本人だからxxだね」や、「(東洋系の)アジア人だからxxだね」と言われること。面と向かって言われる大抵は、褒め言葉や、前向きな内容が多いんじゃないかな。それは日本にいても、グローバルな場においては言われることがあるかもしれない。「日本人だからしっかりしてる」だとか、「日本人だから丁寧だ」みたいにね。

 

だけどそれって、たまに疑問に思うことない?特に、異なる出身の人たちと対等に働いている中で「日本人くくり」をされると、気持ちがよくない時もある。よかれと思って言ってくれているのだろうけれど、正直、「日本人である」前に「私は私なのに」と感じる。差別発言にはとても敏感なアメリカでも、時々少しゆるっとしてしまっているこの部分。

 

 

そんな話をアメリカ人の夫にしていたらおしえてくれた言葉がある – モデル マイノリティ

 

あまり馴染みがない言葉だったが、自身の経験をもって夫の説明を聞いていたらすとんと腑に落ちた、「モデル マイノリティ」が意味すること。アメリカでも非常識とされながら、人によっては意識が薄い場合があるエリアだとおしえてくれた。

 

モデル マイノリティとは、好意的なイメージを持たれているマイノリティの総称。一般的にアメリカでは、モデル マイノリティ というと暗にアジア系人種を意味することが多い。確かに一般的に、アジア人は真面目、勤勉で努力家、完成度が高い仕事をする一方で気質が穏やか、といったステレオタイプのイメージがある。そして事実、アジア系アメリカ人はアメリカにおいて学位を持つ比率や高収入を得ている比率が最も高い人種というリサーチもある。

 

Courtesy of Pew Research Center

 

一方で、例えばアイビー リーグのような名門大学では入学審査に通る大多数がアジア人になってしまう偏りが出るのを避ける為、他の人種への優遇をする実例があったりと、要は「逆差別」が生まれることも。つまりアジア人は知力において圧倒的な強さがあるマイノリティと捉えられているとも言える。

 

マジョリティや他のマイノリティにとって脅威になりうるほど、モデル マイノリティには表向きポジティブなイメージがある。しかしいいイメージがあるとはいえ、ステレオタイプであることには違いない。マイノリティのステレオタイプについて論じる際必ず念頭に置いておかないといけないことがある – ステレオタイプはあくまでイメージであり、必ずしもそのマイノリティに属するすべての人に共通することではない ということだ。あまり好意的ではないステレオタイプを特定のマイノリティに反映することは絶対的に御法度である中、モデル マイノリティに対するステレオタイプについては少なからず許されてしまっている部分がある気がする。

 

 

私はニューヨークのファッション業界で営業チームのスーパーバイザーとして働いている。私のチームは現在5人構成。その内3人はアメリカ人、1人はヨーロッパ系で、あとは日本人の私。それぞれ個性がある中で個々人の優れた点を活かせる環境である。

 

私はビジネス戦略やマーケットの分析に自信があるし、その分野で任されている責任がある。一方でコミュニケーションにおいては、英語が母国語ではないこととアメリカで育っていないことから、時に文化的に違和感を生じさせることもある。それでも基本的にはとてもオープンなオフィスで、優れているところは高い評価をストレートに与えてくれるし、自分の足りないところにはアッパー マネジメントや同僚がサポートしてくれる。

 

 

ただし時に、私がチームにおける唯一の日本人もしくはアジア人だから特定の分野において優れている、と思われている印象が残る時がある。私は確かに日本で育ち日本で勉強し、そして日本で働いてきた。私の中には日本の文化が根強いし、それは私の働き方やコミュニケーションに現れているはず。私の中には日本のスタンダードがあるはずだ。しかし、私が「私自身」であること以上に「日本人」であることが私の重要なエレメントなわけではない。例え冗談混じりででも、私が日本人であることを強調されているような発言はなんだか悲しくなる。それはイメージの押し付けであるし、個人である私のパーソナリティを無視されたような気持ちになる。

 

 

そして更に、私が日本人のステレオタイプのイメージに合わないことをした時にもそれは顕著に現れる。例えば私は朝があまり得意ではなく時間に正確でない。それを「日本人なのに」と言われたことがある。うっかりミスをした時にも笑いながら言われた、「日本人らしくない」と。

うーん・・・私の長所も欠点も、どちらも私のものなのになぁ。

 

 

日本人の好意的なイメージはアメリカ社会において普遍的に抱かれていることが多い上に、日本人自身もそれを承知の内だったりする。ゆえに日本人が、日本人のステレオタイプに関して発言が少し緩くなるのを許してしまっている部分もある気がする。私自身の経験でもそれは思うし、そしてそれは逆に私自身のいいレッスンにもなった。学んだことは2つ。

 

  • 例え前向きなイメージであっても、個人に特定のステレオタイプを引用するのは避けるべき
  • 例え前向きなコメントであっても、日本人のステレオタイプにならって自分についてコメントされた時は、流さずそれはあまり快くないということを表すべき

 

人種も文化も多様なアメリカで、そして個性が溢れるニューヨークで、一人のプロフェッショナルとして生きていくには日本人が持つイメージから抜け出さないと。もしポジティブであってもその裏には異なる意味(要は皮肉)がある場合もあるし、どちらであっても押し付けられたくない。自分自身をもっと磨いて、そしてそれを周りの人たちに見てもらうことが大切だ。

 

【2018年9月追記】

仕事の商談で、あるクライアント(アメリカ人)からまさしく「モデル マイノリティ」として私を捉えた発言をされた。相手は長い間取引をしている大事なクライアント。はっきりとは言えなかったけれど、やんわりとその会話をやめてもらうよう促したら勘付いたようで、話題を変えてくれた。謝罪はなかった。

ミーティング直後、同席していた同僚(アメリカ人、後輩)がすぐに私のところに駆けつけ、「信じられないくらいムカつく発言だったし、あなたの気持ちを考えたら申し訳なかった。まだ新入りだから何も言えず助けられなかったことが悔しい。どうか個人的にとらないで欲しいし、担当を替えてもらうよう上司に掛け合いたいなら証言する。」と言ってくれた。

不愉快に感じたのは私だけではなく、同席したアメリカ人も同じように受け止めてくれたことは、私にとってすごく心の支えになった。うっかりモデル マイノリティ発言をしてしまう人はアメリカにまだいるけれど、一般的に現代社会でこれは非常識だし充分に配慮していかないと。ビジネスの場では特にね。

 

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

Back to top