映画「ビューティフル・ボーイ」を観た

眠れない夜、なんとなく気になっていた映画、「ビューティフル・ボーイ」(原題: “Beautiful Boy”)を観た。

アメリカではアマゾンの prime video で視聴できる。

※ネタバレ的内容も含めるので、これから鑑賞予定で詳しいことを先に知りたくない方は、観た後に戻ってきてください。

beautiful boy movie poster

主人公のニックは文章を書くことを好み、その道で大学に進むことを志していた、一見したら健全な青年。ところが一方で、裕福ながら事情を抱える家庭で育った背景があり、悩みからの逃げや弱さから少しずつ薬物にハマり出し溺れていく。そのニックと、救おうとする家族(同居する、離婚して親権を持つ父親とその父親が再婚した女性、そして少し離れて暮らす実の母)の8年間を描いている。

実話に基づいており、ニック本人と父親デヴィットがそれぞれ書いた2冊の回顧録がベースとなっている。デヴィットは元々ニューヨーク・タイムズやローリング・ストーンに寄稿するジャーナリストであり、ニックは現在作家や脚本家として活躍するまでに回復している。

この映画、息子と父親の感動の物語のように見えるけれど、実際に私が観た後に残ったのは感動より絶望の方が強かった。それくらい、この映画が抱えているメッセージは重い。原作は読んでいないので映画からの感想として、私が感じた絶望とはなんだったのか、書いてみようと思う。ドラッグ依存そのものや依存者の家族の問題といった事実的なものに加え、人が生きる上で誰しもが抱える問題までも浮き彫りにしているように感じた。

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一つ目の絶望は、ニックがクリスタル・メスにハマり常用者となってしまった時点でやってくる。よりにもよって、といった感じ。

数々のドラッグを試した中でもニックがハマってしまったクリスタル・メス(メタンフェタミン)という薬物は、依存性と毒性が極めて高い覚せい剤で、精神、身体と脳を破壊し再生するのが困難と言われている。いわば史上最悪のドラッグの一つだ。アメリカの人気ドラマ、ブレイキング・バッドでも物語の中心となっているので知っている方も多いと思う。

映画では、ティモシー・シャラメが体重を落とした華奢な体でニックを演じており、薬物に蝕まれていく様が虚ろな目や注射針で荒れた腕などを介して描かれているけれど、実際のところあの見た目はかなり美化されていると感じる。

これはブレイキング・バッドの中のメス常用者の控え目な描き方にも言えることだけれど、実際にクリスタル・メスを常用していたらあんなもんじゃないはず。皮膚に感じる幻覚から掻きむしった肌は剝がれ落ち真っ赤にただれ、歯を失い、目元はおぼつかなくなることが知られている。幻覚から覚めた後の絶望感と依存から脅迫的な行動に出るようになる。

たとえ映画の中では控えめな視覚的描写だったとはいえ、精神にも身体にも与える破壊力が並外れているクリスタル・メスは、一度手を出してしまったら終わりを見つけるのは不可能に近い困難が待ち受けている、といった絶望は、作品を通して頭の中でつきまとう。

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二つ目の絶望は、家族が献身的に再生を助けようとしている姿にある。

スティーブ・カレル演じる父親デヴィットは、ニックが幼い頃からすごく近い存在で、家庭は複雑だが「いい父親」だと私は思う。デヴィットの新しいパートナーもニックとはうまくやっているように見えるし、離れていれど実の母親もニックを愛している。

それでも、ニックにはそれが届かない。さらには、必死に再生へ導こうとする父親の献身的な行動までも、ニックは「またそうやって僕をコントロールしようとする!」と突き返す。

映画全体を通して、彼がドラッグに惹かれそして溺れていった大きな原因は家族にあるように見てとれる。しかしニックはどうして家族と真に向き合っていなかったのか、成長していく中で抱えていた究極の悩みはなんだったのか、という部分があまり掘り下げて描かれていない。ゆえに、間違っていないように見える家族の救いが繰り返し失敗に終わるところが、ただひたすらもどかしく切なかった

ドラッグ常用者の周りのサポートに方程式はないと思うけれど、ニックの家族の向き合い方は、きっとほとんどの愛情ある家族がとる行動だろう。私でもきっとそうする、と思う。しかし、映画の中の家族は純粋に真剣にニックを助け出そうとしているのに、ニックは幾度となくそこから逃げ出す・・・やりきれない。ニックの悩みの核を描いていないのはあえてなのかもしれない。本人に伝わらない周りからの愛を、そうやって浮き立たせようとしていたのかもしれない。

そして最後の、そして一番大きな絶望は、誰しもにあるであろう弱さと心の闇だ。

リハビリを続け一度回復しかけ、14ヶ月もシラフを保っていたニックが、薬物依存者が集まって再生を目指す会合でこういったスピーチをする。

One day I woke up in a hospital, and someone asked me, “What’s your problem?” And I said, “I’m an alcoholic and an addict.” And he said, “No, that’s how you’ve been treating your problem.”

I know now I need to find a way to fill this big black hole in me.

ある日、病院で目が覚めたら誰かが僕にこう聞いた、「君はなんでここにいるの?」僕は、「アルコール中毒で薬物依存症だから。」と答えた。そしたら彼はこう言った、「違うね。君はそれが自分の問題だと思ってそうやって対処しているってだけだよ。」

そして今、僕は気づいている。僕がしなくちゃいけないのは、自分の中にあるこの大きくて真っ暗な穴を埋めることだって。

THE LITTLE WHIM 訳

自分の問題は依存そのものではなく、依存へと導いた心の闇と気づいたニック。「家族に僕のことを誇りに思ってもらいたい」と前向きに再生を目指していたが、この後悲しみや虚無感にさいなまれる出来事があり再びドラッグに戻ってしまう。

ただでさえ依存性が高く常用からの回復には長い道のりと厳しいリハビリが必要なクリスタル・メス中毒だが、そこに至ってしまう前の精神的な問題はなお修復が難しいことを思い出させられる。ドラッグ依存=弱さだとしたら、つまりドラッグ依存を治すには、弱さの部分をじっくり見つめそれを依存に向けさせないようにする方法を見つけないといけないんだ。

本人にしかわからない痛みや苦しみは、薬物に手を出すか出さないか以前の、もっと根本的な問題。ニック自身が持つ弱さや繊細さ、周りとの距離のとり方の葛藤、将来への疑問、いろんな要素が重なっているのだ。はたから見ても、そしてきっと家族や友人から見ても、「なんで誰かに相談しなかったの?」「ほかに方法はなかったの?」と感じるのに、ニックにはドラッグに逃げるしかなかったくらい、大きくて真っ暗な穴が彼の中にあったのだろう。

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忘れてはいけないのは、人によって感じ方やそれが生活や人生に与える影響力は異なれど、誰にだって心の中に闇やぽっかり空いた穴はあるということ。自分自身のコンプレックス、家族や恋愛の問題、学業や仕事のプレッシャー、人間関係のストレス、未来への不安、挙げ始めたらキリがない。生きていく上で、常に100%幸せで満足でストレスフリーな人生なんて、ない。(あったとしたらそれは最高に幸せで最高に恵まれている。)

薬物に依存していないからって、ニックが言う「自分の中にある大きくて真っ暗な穴」がないわけじゃない。薬物に依存していないからって、それを放置していいわけではない。ニックのように、薬物に依存することで少なくともその穴の存在に気づくことができるかもしれない。もしかしたら、究極的には、薬物にも依存せず現状を続けているのは、もっとおそろしいことかもしれない。

この事実が、最終的に私の中でものすごく大きな絶望として残った。

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8年の闘いを経て、自らの経験を出版し高い評価を得て、映画化までされたニックの人生。夢見ていた、もの書きとしてのキャリアも築いている。ニック、デヴィット、その他ニックを献身的に支えてきた人たちはきっと、今のニックを誇りに思っているだろう。

しかし私には、あまりに辛い要素が多過ぎた。感動や賞賛とは別の、やはり絶望という言葉が合う感情が消えない。この映画はきっと、「愛」とか「再生」の裏にあるどうしようもない絶望を伝えようとしていたんじゃないかな、と思うのは、私だけだろうか。

最後に – この映画が私の心に強く届いたもう一つの要素は音楽にある。東京にいた頃好きでよく聴いていてライブにも行ったモグワイやシガーロスの楽曲が使われている。美しい中に痛いくらいの切なさを秘めたメロディーが、この映画の持つ複雑な感情をより響かせていると感じた。

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