THE LITTLE WHIM

森を見て、木を見る

「木を見て森を見ず」

英語でも同じように、”can’t see the forest for the trees” という言い回しがある。

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日本語は写真をスワイプ👆🏻 Harry and I spent an amazing four days in Austin, TX. During my first adventure in the Lone Star State, I challenged myself to an Instagram detox. ⠀ As someone who picked up the bad habit of being constantly connected to social media in the 2000’s, every time I visit new places, I tend to spend a decent amount of time posting photos on Instagram, geotagging what I’m seeing and experiencing IRL. It’s almost as if it was a natural part of my travels, but by doing all this, I can easily spoil the genuine purpose and enjoyment of traveling. ⠀ As I thought about this phenomena, I realized you can (somewhat circuitously) connect it to sustainable living. It’s easy to lose the forest for the trees. “Buy package free”, “Bring your own bag”, and “Say no to plastics” – all those determinations are very crucial to keep up with on a daily basis, but they are never actual goals. They are tactics to help you towards the goal of a better sustainable planet. From time to time, people can get distracted by these rules of thumb, and lose the actual reasoning behind why they’re important, and why to keep doing them. ⠀ When someone forgets their reusable bag, for instance, it may feel like the end of the world – damn it! – but it is NOT the end of the world at all because remember, our goal is NOT “carrying a bag every day”. The goal is to use less resource overall, which is for the greater good, isn’t it? It’s way way more essential to focus on the true meaning of sustainability, and try to evolve the concept day by day. It’s the forest, not the trees. ⠀ Through my Instagram detox over the past four days in Austin, I was able to purely embrace the traveling experience and enjoy my time more fully. This trip also brought me an even better understanding of how we can continuously live a truly meaningful sustainable lifestyle, by keeping in mind the reasons why we do the things we do.

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これは、環境や社会の問題と向き合おうとしていて、はっと気づくと起きている現象。サステナビリティだったり、自然・動物・人に思いやりを持つことだったり、エシカルな生き方だったり、生活に循環を取り入れることを考える中で、感じたことありませんか?

「木を見て森を見ず」

事物の末梢的部分にこだわりすぎて、本質や全体をとらえられないことのたとえ。

木を見て森を見ず」(コトバンク)

「エコ!」「サステナ!」「エシカル!」と考え調べると、目に付きやすいのは具体的なこと。生活の中で何ができるか、こういったものを選ぶといい、曖昧なマーケティングには要注意、といったとても実践的で細かいことに出くわす機会がぐっと増えた。特に今はプラスチックフリージュライ (Plastic Free July) や日本でのレジ袋有料化もあり、ソーシャルメディアでは日本語でも脱プラスチックな取り組みに関する投稿を多く見かける。

私は、インスタグラムのDMでピンポイントな質問をいただいたり、アドバイスを求められることが多い。友人から聞かれることもある。具体的な内容にはできるだけ、その人の状況を聞きながら提案をするようにしているし、力になれるのならすごく嬉しい。かえって私が学ばせてもらうこともたくさんある。

その一方で、気づけば「木」の話ばかりしていることに困惑もする。その中でも、「森」を見ていない「木」の話には特に。そう、まさしく、事物の末梢的部分にこだわりすぎて、本質や全体をとらえられない状態に陥っているような。

レジ袋 vs. エコバッグの議論という「木」

例えば、日本のレジ袋有料化の話。以下が、私がよく目にしたり、実際にメッセージをもらった内容。

プラスチック製のレジ袋はリサイクルがされなかった場合埋め立てに送れ、その中には海に流れ着くものが多い。しかし実際には海洋プラスチックゴミの内レジ袋の割合は小さく、ここを削減するのは海洋プラ問題の解決策としては弱いらしい。プラスチック全体のリサイクル率は世界的には低い上に、薄いレジ袋はリサイクルがそもそもしにくい。日本の場合は thermal recycling(焼却し熱エネルギーとして回収)をするので果たしてそれはリサイクルと呼べるのか、といった議論もある。一方で、レジ袋をゴミ出しに使うという再利用をしていた人も多く、新しくゴミ袋を購入することへの疑問も生じる。そしてエコバッグの製造には大きな環境負荷があり、使う回数によってはレジ袋の方が環境に優しいという意見もよく聞く。で、バイオマスプラって何?

参考記事:
Plastic Bag Bans Are Spreading. But Are They Truly Effective? (National Geographic)
Here’s How Many Times You Actually Need to Reuse Your Shopping Bags (Phys Org)
Japan Wraps Everything in Plastic. Now It wants to Fight Against Plastic Pollution (Washington Post)

とまぁ、これに関わる議論は尽きない。レジ袋は身近なもので、無料でもらい利用してきた人にとっては大きな変化なので、当然のことだろう。日本・海外ともに、科学及び化学的な知識がある専門家の意見も含めた記事も多く、知らなかったことや見えていなかったことを学ぶきっかけになる。

しかし気になるのはやはり、「木」に目線を置いた話が多いということだ。具体的には、自分のところにたどり着くレジ袋と、その後のこと。私も同じような疑問を感じたこともあったけれど、数年前に、このTEDトークを観て受けたショックで、「森」を見据えた。

オバマ元大統領の環境政策のアドバイザーも努めた Van Jones は、このビデオの中で、プラスチックの製造・廃棄のどちらにおいても公害を受け、衛生や健康が犯されている低所得・貧困層にある人々について話している。貧しい人たちが発がん性など体への悪影響が多い環境で作ったプラスチックを、比較的豊かで便利さにアクセスのある人たちが使い、それがうまく処理されないと最終的に貧しい人たちの住環境をまた汚す。社会の不均衡は、使い捨てプラスチックの世界にも根深く存在している。

そしてこのビデオでは後半に、 biomimicry(自然・生態系の模倣)をしたものづくりの発想にも触れている。環境のことも、世界の不均衡のことも考えた上で、プラスチックはまず避けること、そしてレジ袋使用の是非といった「木」の話ではなく、もっと大きな「森」をよくしていくための考え方を提案している

これをきっかけにプラスチック廃棄だけでなく製造における不正義について調べた結果、プラスチックのレジ袋をやめることがもたらす可能性のあるネガティブな効果や、代替案との細かい比較を読んでも、私には使い捨てプラスチックを肯定する理由にはなり得なかった。

あと・・・そもそも、個人レベルで考える際、木と木をまるでどんぐりの背比べかのように徹底的に比較するのは、実はあまり意味がない部分も多い(と私は思っています)。データや統計は一般的な比較の材料、そして知識になるけれど、それが必ずしもそのまま、各個人にまるっと当てはめられるわけではない。毎日同じ生き方を365日しているわけでもない。なのであくまで参考までに、くらいのスタンスがいいと思う。

それより、「木」をきっかけに、そこからつながっているもっともっと大きな「森」を見ることの方がずっと価値があるのではないかな。そこから、広い視野で問題を見て理解を深めながら、実際の生活において環境や社会のために、細か過ぎずに実現可能な範囲で自分の選択を進めていくことにした。ここ数年はずっと基本エコバッグ派な私は、レジ袋 vs. エコバッグの議論からは早々に自分を解放させた。

ちなみに、その後海洋ゴミについて調べていたら、太平洋に浮かぶゴミの内46%は漁業が残したものだと知った。え、レジ袋でもペットボトルでもストローでもお菓子のパッケージでもなく、漁網やブイ!?その頃ペスカタリアン(魚介を食べるベジタリアン)だった私が魚介をやめたのは、これが大きなきっかけだった。もちろん直接的にゴミを減らせる行為ではないけれど、いき過ぎた漁がもたらす問題について考えたら自然な決断だった気がする。これも、「森」を知った例だと思う。

あ、あともう一つ。いくらレジ袋は海洋ゴミのほんの一部とは言っても、たった一枚のレジ袋で海の中やその近くに生きる動物を傷つけたり命を奪うことができる。彼らにとっては紛れもない凶器であることも忘れないでおきたい。

サステナブルファッションという「木」

サステナブルファッション、エコファッション、エシカルファッション、etc. このキーワードはメインストリームのメディアでも多く見られる。リサイクルポリエステル、オーガニックコットン、ファストファッションのコンシャスコレクション・・・もはや何がサステナブルでエコでエシカルかなんていうのは、よくわからなくなってきた。

そんな中ちょうど昨日読んだ、最近お気に入りのメディア The Frontlash にあった “Does Sustainable Fashion Need a Reboot?” というコラム(それがこの記事を書くきっかけにもなったんだけど)に、まさしく私が感じていたことが書かれていた。

In short, sustainable fashion, the cause, has become sustainable fashion, the product. Instead of mass mobilization and a call for new laws and new research, we have capsule collections, curated closets, and a lifetime supply of organic cotton t-shirts. Like the books on anti-racism now on our shelves, there is nothing inherently wrong with buying the more conscious product, as long as you understand that’s the beginning and not the end of the work to be done.

つまり、サステナブルファッションが持つ目的は、サステナブルファッションという製品になってしまった。 新しい法律や研究を求め多くの人を動かす代わりに、私たちにはカプセルコレクション、キュレートされたワードローブ、そして一生分におよぶオーガニックコットンのTシャツがある。より配慮のある製品を購入することは、本質的に問題はない。しかしそれは、今まさしく本棚に溢れている反人種主義に関する本のように、私たちの取り組みの終わりではなく始まりであると理解している場合に限る。

Does Sustainable Fashion Need A Reboot? (The Frontlash)

THE LITTLE WHIM 訳

これに尽きる。もはや何がサステナブルでエコでエシカルかわからないのは、市場はごっちゃまぜ、メディアもいろいろ言うで、もはや基準も何もわからないまま「少しでもよさげなことが書いてあるものを・・・」という購買が正当化されても仕方がない状態になってしまっているから。そう、それがここで言う「木」。そしてそれは上の引用にあるように、終わりではなく始まりの一つの形に過ぎない。

The Frontlash の記事は、今サステナブルファッションが迎えているこの局面で必要なのは、「マーケティングではなく事実に基づいてサステナブルなファッションを判断・説明する責任」と、「人種間の不均衡、性差別主義、労働における不平等などの交差する問題への取り組み」であるとしている。

前者については、(ブランドや商品を取り上げる)ファッションメディア内の人材及びインフルエンサーに気候危機の教育は必須であり、そしてブランドは二酸化炭素排出など環境に与えている影響について現状と目標の明確な開示の徹底が必要だと述べている。そして後者においては、幅広い層が協力し合い、多様なプラットフォームを利用して政府にグリーンエネルギーが必要であることを訴えかけるべきであり、そしてデザイナーたちはそのクリエイティビティを使って情報共有のためのキャンペーンをすることを推している。

サステナブルファッションは今至る所にあり、木が溢れているのでまるで森を見ている感覚になりがちかもしれない。しかし今サステナブルファッションとして植えられている木にはあまりにもろいものも多く、森を作る一部にすらなれていないかもしれない。まるで虚構の森だ。そしてそのせいで本当の「森」を見逃していたら・・・

私はここのところ、基本的には #oootd (old outfit of the day) が多い。今この世にあるものを大切にする形は、様々な疑問や迷いがある今、最もしっくりくる。

とはいえ実直なビジネスや市場を応援したい気持ちもある。新しいものを探す際は、アップサイクルをしているブランド(リサイクルはダウンサイクルの場合が多いというのをサーキュラーエコノミーの概念で学び、できるだけアップサイクルに目を向けている)、環境再生型農業を取り入れているブランドやプロダクトを見たいと思っている。

#oootd においても、できるだけ地域型で探すことは個人でできる最も環境負荷を抑えられる方法かな、と思っている。

労働体制や賃金については見えづらい部分もあるので、それはブランドの透明性を信じるしかないのかな・・・。そもそも、当たり前であるべきことが当たり前でないのが当たり前になっていることのこわさを改めて感じる。特に最近、環境面で改善の発表をしつつも労働面には言及していないいかがわしいサステナブルファッションは増えている。

ファッションは楽しい世界でありつつ、その業界は環境面でも倫理面でも課題が多い、ものすごく大きな「森」である。少しでもサステナブルなオプションを、と見ようとすると、まるではぐらかしてくるように、(文字通り)安価なプラスチック製のような「木」が植え付けられている。The Frontlash のコラムに貼られていたリンクの記事にあるように、一般的に信頼のおけるメディアや機関の情報であっても、ファッション業界のデータや統計には誤りや誤解を招く内容も多いようだ。

やっぱりしばらくは基本的に #oootd かな・・・。


以前から感じていた、環境や社会について考えている際に起こりがちな「木を見て森を見ず」なこと。一本一本の木が大事なのは間違いない、だってそれが森を作るから。でも、目の前の木にばかり気をとられ、本質や全体が見えなくなると、かえって解決へ導きにくかったり、最悪の場合は本末転倒なことになるかもしれない。

私もそういった状態に陥ったことが今までに何度かあるし、これからも気をつけていきたいところ。

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