アクネ・ポジティビティという支え

ここ数年でよく目にするようになった、スキン・ポジティビティ (skin positivity) の考え方。

これは、テレビ・映画・雑誌や、広告、ソーシャルメディア上での完ぺきに見える肌の概念にとらわれず、自分の肌の状態を受け入れること — それにくわえて、人びとが肌の状態でジャッジされることがない社会をつくるムーブメントの要素も大きくなっている。スキン・ポジティビティは、ボディ・ポジティビティ (body positivity) の一環とも、並行するものとも言われている。

そしてそのスキン・ポジティビティを通して出会い、私の内側にチクッとした痛みを残しつつも強さを感じているのが、アクネ・ポジティビティ (acne positivity)。ニキビがある人びとが自分たちの肌を受け入れることを支持し、そしてニキビによって人の価値や尊厳が傷つくことがある今のあり方に訴える。

後発的に、ニキビがある自分の肌の「見た目」そのものから自己の価値を解放するアクネ・ニュートラリティ (acne neutrality)という考え方も生まれ、それにも私は共感する。しかしそれを個人で実現するのはまだまだ不可能なほど、現実には肌の「不完全さ」にはネガティブな印象がつきまとう。なので、受け入れて愛することを説くスキン・ポジティビティーは今もなお重要だと感じている。

wave small brown250

ニュースを開けば、世界を揺るがすような出来事が次々と報じられている。肌にできるニキビの話なんて、と感じる方もいるかもしれない。その場合は、ここでやめてもらった方がいいかな。なんのことかな?と興味のある方、ニキビの悩みにさいなまれてきた方がいたら、長い話ではないので読んでみてください。

wave small brown250

インスタグラム上では、#acnepositivity のハッシュタグ投稿が、実に9万2千を超えている(2020年8月現在)。

人によっては痛々しく見えるであろう、赤く腫れたニキビや、膨らんだ毛穴の詰まり、肌一面に広がる凸凹、まだらなシミや傷として残った数々のニキビ跡。それらをあえて隠さず、自分自身の姿として、(おそらく)フィルターや補正を施さず、さらけ出した勇気が見える。

なかでも、アクネ・ポジティビティのムーブメントを牽引しているアクティビスト的存在が数名いる。

スウェーデン出身の Sofia Grahn (@isotretinoinwiths) は、自分が好きなカラーメイクアップを楽しみつつ、ニキビやニキビ跡が見える肌はカバーせずそのまま。

ほかにも、

東アジア系の Shiny Liu (@its.shiny)
インドの Megha (@meghamazing)
アフガニスタンの Kadeeja Sel Khan (@emeraldxbeauty)
ラテン系の Constanza Concha (@cottyconcha)
ブラックの Oyintofe Oduyingbo (@yintofe.O)

などなど、多様な肌の存在がたくさんいる。(Sofia の写真はメイクアップエディトリアルの要素があるので載せました。しかしそのほかのインスタグラムにはもっとニキビへのフォーカスがあり、ニキビにトラウマ的感情を持つ読者もいると思うので、見たいもののリンクをご自身でクリックしてください。)

これらを見て、どう感じるか。見せる必要のないものをわざわざ公開する、無駄なことなのかな。それとも、見せる必要のないものをあえて公開する、意味のあることなのかな。

このムーブメントの受け止め方の違いは、この行動の勇気を知っているかどうかによると思う。

たとえば、

ニキビができたことが一切ない人は少ないだろうけれど、その頻度や重度には違いがある。

ニキビは厄介だけれど、悩みと呼ぶほどかどうかには違いがある。

ニキビを治したいけれど、経済環境などの要素により実行可能かどうかには違いがある。

そう、こういう違いによって、このムーブメントに共感するか、どれだけ共感するかは、変わってくる。

wave small brown250

ここからは、個人的な話。私は、自分の外見を気にするようになった10代の頃から、ニキビとは切っても切れない仲だった。ことごとく自信をなくさせる存在と向き合ってきた。向き合えないくらい憂鬱な日々もあった。

大学に入っても、社会人になっても、大人ニキビか吹き出物か、名前はなんでもいいけれど、この悩みは続いた。ニキビは治ってもニキビ跡として残り、その記録は続く。気づけば冷静さも備えたし、今でこそここ数年で肌はだいぶクリアになったけれど、10代の頃は自分の肌を見るのがすごく悲しかった。

ニキビは、たとえたった1つだけでも意識を全て持ってかれるくらい、自意識過剰になるものだった(当時は自意識過剰という言葉をよく使ったけれど、最近の感覚だと、自己肯定感喪失、みたいなのが合うのかな)。誰かに会う約束があったり、大事な予定があったらなおさらだが、ただ学校や職場に行くだけであったとしても、人の目線が気になってしまう。

ニキビが人目につくところに現れた時の、イライラなのかがっかりなのか、なんとも言えないあの気持ち自体は、ニキビができた経験がある多くの人びとが知っているだろう。メイクアップをするならば隠す場合も多いだろうけれど、実際になかったことになるほどには消せない。それは当人には鏡を見るたびにあきらかで、さらには、必死に隠した自分の肌を目にした人たちにも透けているだろうな、と思ってしまう。

ニキビの悩みが特に堪えるのには理由があった…… ニキビの経験は珍しくないからこそ、誰にでも起き得ることだからこそ、慢性的にニキビに悩まされてきた私のなかでは劣等感や羞恥心が育ったのだ。

「みんなできるものだけど、私ほどじゃない」

「みんなたまにできるくらいだから『ニキビできちゃったー』って言えるけど、よくできる私にその言葉は言えない」

「みんなの肌はきれいで、私の肌はキタナイ」

…… 特にこの「キタナイ」は、ものすごくつらい。キタナイというのは、ニキビがあるから周りと比べて「見た目が美しくない」と感じるのにくわえて、「不潔」という意味もともなって襲いかかった。

清潔や健康は気にかけていた。そのためには、できる限りの範囲内で、なにかを知るたびに飛びついた。今思えば眉唾モノなことも試した。でも、完全になくなることはなかった。キタナイわけじゃないはずなのに、キタナイのかなって見た目になって(いると感じて)しまっていたんだ。

思春期の頃、おおきな悩みだったのに、友人たちには話せなかった。一緒に向き合ってくれたのは、母。肌が健康的な私の母は、娘の傷んだ肌を見て、自分のことのように辛く感じていたのが伝わってきた。悲しませたくはなかったけれど、優しさは救いだった。

あの10代の頃の私に、もし今のようにソーシャルメディアがあり、アクネ・ポジティビティがあったら…… 私は、#acnepositivity をスクロールしながら、そう考えずにいられない。

とはいえ、きっと私は、iPhone 画面上の四角いグリッドのなかで自尊心と勇気を表現しているかれらのようには、思い切れなかったと思う(今もできない)。やはり、ニキビのある自分の顔より、ない顔を愛したかった気持ちが勝っただろう。#acnepositivity で今日の顔をソーシャルメディアでさらけ出すより、朝起きたら一面クリアな肌になり喜び溢れる明日の顔を夢見ていた。

しかし、アクネ・ポジティビティは心の支えになったに違いない。「ニキビがあってもいいんです」というだけではない、このムーブメント。

悩んでいるのは、自分だけではないよ

受け入れることが難しいのは当然で、その困難を共有しようよ

この悩みを持つ人が傷つく可能性がある社会について、考えようよ

きっとあの頃の私にはなかった考え方を、くれただろう。

そもそもこの内容を今つらつらと書けているのも、かつてほどニキビができなくなったからかもしれない。あの頃は傷を覆うのに精一杯で、ニキビについて語る勇気はなかった。「話さない」ことが防衛的な強さだと思っていたのかも。その私には、「その時の自分の肌」を愛することはすぐにはできなくても、痛みを共有し、そのまま受け入れることを助け、自分だけでなく社会のこととして導いてくれるコミュニティがあったら、よかった。「いつかきれいになっているだろう肌」を母と一緒に待ち望むばかりでなく。

2020年の私はすっぴんで、ニューヨーク — 東京間で母とテレビ電話する。ここ数年でニキビや吹き出物は減った一方で、過去のニキビの歴史は目に見える形で残り、そして歳を重ねるにつれ小さなシミやシワと共生し始めた私の肌。そのどれも画面越しに見える母が言う「そうゆうものよね」は、アクネ・ポジティビティがなかった10代の頃の私が、もっとも聞きたかっただろう。そしてあの頃の母にとっても、表面だけでなく内面も傷ついていた私に、もっともかけたかった言葉だろう。

また、インスタグラムを見る。きっと、画面上のかれらには、写真を撮り投稿ボタンを押すに至るまで、多種多様の道のりがあったんだろうな。かれらのようにさらけ出す勇気がなかったら、それでいい。でも、必要以上に誰かと比べ、劣等感や羞恥心を持つことはない。受け入れるということは、いきなり思いっきり愛するところまでいかなくてもよくって、まずはそこまで嫌いになったり、誰かと比べて自分の肌を恨んだりしないことから、始めればいいんじゃないかな。今なら、そう思う。

そして多くの人びとがそうできるわけではない状態をつくる、一般的な肌の価値観を極端に煽るものが、もっとおだやかになっていかなくては。アクネ・ポジティビティが引っ張り、理解を深めるよう働きかけているのは、肌の状態のダイバーシティやインクルージョンと言えるだろう。だって、私たちが欲しいのは、ニキビが必然的に悪者やスティグマになってしまう、ようはニキビがあることがマイナスにされてしまう現状を、ニュートラルにしていくことなんだから。そうやって、私たちはやっと、肌の「見た目」から自分たちの価値が決められてしまう状態から自らを解放することができる。

wave small brown250

アクネ・ポジティビティが広まるにつれ、これは企業にとってマーケティングの道具とも、なっていく。この前向きなムーブメントは、さまざまな形で解釈・利用されていく。人を肌の状態でジャッジしない社会と、そのなかで生きていく個人の強くも弱くもある気持ちを、尊重していくものであって欲しい

最後に…。私自身は、周りの人から直接向けられた言葉に傷ついた記憶はほとんどないけれど、人によってはそういう経験もある。意図していなくても、相手によっては言われたくない言葉もある。そんな例が載っていたインスタグラム投稿があったので、参考までに。

「ニキビがあるの気づいている?」
「顔にあるそれ、何?」
「最近肌になにかしてるの?どうしちゃったの?」
「どうして肌のケアしないの?」

Share on twitter
Share on facebook
Share on linkedin