「ど」ニューヨーカー

Image courtesy of Adrian Tomine

ニューヨーカーは酸っぱくてしょっぱくて辛くって、そして時々とても甘い。

この街にいると、この街での人の振る舞いにも当たり前のように慣れてくるけれど、実際のところ、ニューヨーカーはかなり特殊だ。「ど」ストレートだ。

誰にでも声を掛けるし、見ず知らずの人にでも怒るし怒鳴る。日本語でいう「あの〜」的なものなどすっ飛ばして口から出るままに自分の意思を伝える。車のクラクションの鳴り止まない様子も、まるでニューヨーカーの「意思表示」そのものだ。

しかしその性質は、怒りや攻撃性だけではない。一方で、「ど」スイートな時もあるのだ。今朝、地下鉄の中で懐かしい音楽を聴きながら、2年以上前のある日のことをふと思い出した。

私は泣くことが多い。というか、涙が出やすい。悲しい時だけでなく、悔し泣き、嬉し泣き、笑い泣き、なんでもある。何かの衝撃でとたんにぼろぼろと涙が流れやすい代謝のいいタイプ。

しかしあの日のあれは、決定的な「悲しい」涙だった。感情的でおまけに感傷的なやつ。電車の中で大粒の涙が止まらなくなり、乗客がそれぞれの日常の過程を過ごしている夕方の地下鉄で、私は泣いていた。周りを遮断したように一人で悲しさに暮れていた。

その時、「あの〜」も何もなしに、テイクアウトでもらったであろうナプキンを差し出し、”Everyone has bad days.”と声を掛けてくれた女性。私の一人の空間に突然入ってこられた驚きで涙は引っ込みそうだったが、思いがけず分け与えられた優しさに、私の涙は結局、最大級の大粒になった。

きっとこの人は、何か不満なことがあった時にも発するであろう「ど」な表現を、あの時はスイートな「ど」で私に向けてくれたんだろうなと思う。

代謝のいい涙循環を持つ私は、そこで更に大量の涙消費をし、家にしっかりたどり着けた気がする。

ニューヨーカーは環境も思考も複雑な一方、とっさの表現はいたって素直な気がする。東京ではなかったコミュニケーションがある。忙しい毎日の中での、 ツッコむ、笑う、怒る、褒める、慰める・・・それらが、「ど」になるのだ。そしてそれが「ど」ニューヨーカーな証拠なのかもしれない。

「あの〜」と言っている間に言い終わってしまうくらいのニューヨーカーの「ど」表現。素直っていいじゃないか。