海外で生きるということ

12日に及ぶパリ出張(プラス 息抜き)から、ニューヨークに戻って来た。

中高の同窓生で、現在はパリに住む友人がいる。写真の分野でのアーティストだ。年に数回、私がパリに行く度に会っていて、彼女がニューヨークに来た際に我が家に泊めたこともある。今回のパリでは、彼女にヨーロッパで暮らすたくさんの日本人を紹介してもらった。パリやベルリンで、様々なアート、建築、ファッションやフードなどの世界で生きる彼らたちから、刺激というのかな、前向きな影響を受けた。

彼らのほとんどは、かなり長い間(10年以上という人が多くいた!)日本を離れており、更に戻る予定も特にないようだった。今いる土地での生きる術を得て、悲喜こもごも、そこに残りこれからを描いている印象が強かった。彼らからは、無理に肩の力の入っていない、しかし確固とした強さを感じた。自分のいる場所を自ら選び、自ら決め、自らそこに暮らし、自ら動いている。

どこであれ、海外で生きていくことはそう簡単じゃない。特にパリやニューヨークの様な大都市であればあるほど、常に忙しく、競争は激しく、お金が掛かり、住み心地のいい場所では決してない。

しかしそこに残りたいと願う人が多いのは、そこでしか得られない満足がきっとあるから。そしてその満足というのは、長くいればいるほど、キャリアや経験など自分で形に残すものに直結している場合が多い。そこでしかできないことがあるから、強いてはそこにいる自分でしかできないことがあるから居続けているというのを、パリにで長く生きる友人たちと話しながら感じた。

パリでそういった会話をし、そして戻って来たニューヨーク。自らの意思でやってきて、多くのことに挑戦して、自分の居場所を見つけて、そこで求められるようになり、そこで生きていく ‐ 世界中からそういった人が集まっている街。しかし、楽しいことばかりしていてはいずれ飽きるし、楽しいことばかりをしている人たちとだけ遊んでいても表面的で虚しくなる。

肝心なのは、酸いも甘いも知ること。ニューヨークは甘美なだけじゃない、だからこそ、この街で生きていくことが自分を確かな、強いものにしてくれる。

自らの理由付けを可能にしていくために常に前に進んでいる人たちと会って話すことによって気づくことは多い。どこかの誰かのインタビューを読むよりもぐっと響く。

今回のように、海外での時間が長い日本人と話したことは、今の私にはとても意味があった。長くいればいるほど、残る理由というのは見失いがちになるが、そこにいる理由をいうのは常に自分の状況によってアップデートされていくし、それにともないそこから得る満足も進化していく。

夫と猫と暮らし、自分の仕事に迷いながらも日々新しいことに取り組んでいく中で、私も少しでもニューヨークで求められるようになっていたい。そしてそれが自分自身の自信や誇りへと繋がると願いたい。

そういった中で、強さを得て、そして柔らかさも保っていけるのかな。期間限定ではないのは、途方に暮れそうにもなる。それでも、わざわざはるばるやって来たからには、無期限であることをアドバンテージとし、この街での未来を自分のペースで築いていけますように。