国際結婚って、実はすごくシンプル!

今日のテーマは、日米カップルである私たちのなかよしの秘訣。

たまに質問を頂くこのトピック、国際結婚。どう答えたらいいのかあまりわからなくて避けてきたけれど、今回書いてみることに。

お読みになる前に知ってもらいたいこと ‐ 結婚はあくまでとてもパーソナルなもので、これは私 COOKIEHEAD が自分の結婚や経験を元に思うこと。国際結婚とはこうゆうものだ、と定義づけるためのものではないよ。

ざくっとなれそめ

私たちが知り合ったのは2013年、東京。私がニューヨークに引っ越してきたのも2013年でそこからずっと一緒に住んでいるので、過ごした時間はもうすぐで5年になる。

夫はニューヨーク出身。キプロスとイタリアの血が入る。日本には、大学生の頃留学をしたのをきっかけに何度も訪れたことがあった中、当時働いていた会社で東京オフィスでのプロジェクトの担当になり、都内に短期滞在していた。その時にちょっとした繫がりで知り合った。初めて会った時から興味や波長がとても合って、話していて楽しかったのを今でも覚えている。日本語を教える予定が、ずっと英語で音楽やアートの話をした。短期の滞在とわかっていたので、その間、美術館やレコード屋さん、本屋さんに一緒に行ってはおしゃべりを楽しんでいた感じ。

彼の帰国後、私が休暇でニューヨークに遊びに来た時に彼から、引っ越してこないか、と。限りなく即決に近い感じで、親に話し、会社に退職を告げ、ビザの手続きをして、6ヵ月後には渡米していた。

と、ここまでがなれそめ的な。

そこから結婚への流れは、私がニューヨークで Parsons に通う中、卒業後ニューヨークのファッション業界で働くことも視野に入れた上で彼が逆算したタイミングで、プロポーズをしてくれた。これも限りなく即決に近い感じのイエスだった。そして2015年に結婚した。

私たちの間には違うところがたくさんある。根本となる部分で、違う – 国籍、人種、宗教、言葉、そして育った環境。(年齢は一つ違いなのでとても近い。)もちろん、違うせいで余計なステップを踏まなくてはいけないことは多い。手続きは気が遠くなるほどだった。でも違うということ自体が、私たちが結婚する際、もしくは結婚生活を続けていく上で、問題の原因になったことがない。

パスポートの発行国も、肌や髪や瞳の色も、食べてきた家庭料理も違う私たちが、もしきっとそれらが同じだったとしても変わらないくらい(もしかしたらそれ以上)なかよしでいられるのには、いくつかポイントがあると思う。

ここが変だよ日本人?
そりゃそうだよ、私たち違うもん!

私たちの間には、「だって私たちぜんっぜん違うんだからしょうがないよね」という理解がある。ゆえに、違いを否定することも、逆に押し付けることもない。あまりに違うからこそ、前向きなあきらめがある感覚

もしどうしても気になることがあった際には話し合いになるし、そうゆう時はお互い、「お、よほどのことなんだな。」と思い相手に真摯に耳を傾けることができる。似ている同士の間に生じる小さくて曖昧な違いが衝突の原因になることって多い気がするのだけど、全く違う者同士ほど、許容範囲が広いってことかな。

違いへの理解は、ありがたいことにそれぞれの家族にもある。これもとても大切。

更には、違いをポジティブに楽しむことができる。ものすごく明快な例はホリデー。サンクスギビングとクリスマスが特別な夫と、お正月が大切な私 ‐ つまりは私たち夫婦にとって11月中旬から1月の頭まで、ハッピーな期間が長いということ。相手が大好きなホリデーはお互いが幸せな気持ちを分け合えるし、その人の信じるものや文化を受け入れることにもつながる。

祖国  vs 外国

私たち夫婦の場合どちらも、一つの都市で人生のほとんどを過ごしてきたという点が共通する。

夫はニューヨークで生まれ育ち、私は生まれと幼少期の一部を除いては東京で過ごした。お互い、それぞれの街で人生を歩んできた。一方で、夫は東京が好きだし、私もニューヨークが好きだ。どちらに住むことも働くことも、問題はない。大切なのは、どちらかが環境を変えなくてはいけない事実をどちらもが納得し、それがうまくいくよう協力し合うことだ

2013年にニューヨークに引っ越してきた際は、まだこの街での先のことはあまり決めていなかった。しかしながら、長い間を過ごした自分の街を離れ、残りの一生を違う街で過ごすのかもしれないというのは不思議な感覚なものだ。日本人に多く持たれると言われている、「祖国に骨を埋める」という感覚 ‐ 20代後半というもう若さ溢れるわけではない年齢で渡米した私は、私にもその感覚はあるかなぁ、と考えた。今も時々考える。

夫は、私がニューヨークに引っ越してきてここで彼と一緒にいることを、当たり前だと捉えない。決断をしたことによって失ったであろう価値を無駄にしないよう、それを犠牲と思わないよう、ニューヨークで一緒に生きていくことに意味を示(そうと)してくれる。私は働きたかったので、今の仕事やキャリアを手に入れる上で全力で応援してくれたし、ニューヨークでの今までの私の歩みに尊敬を表してくれる。

これは国際結婚に限らないと思うが、どちらかが何かをあきらめ、それを本人が惜しみ続け、相手もうしろめたく感じていたら、ストレスがどうしても生じると思う。そして事実それが生じやすいのが国際結婚だ。

骨を埋めるのはまだまだ先だと思うが、人生で最も生産性が高い年齢である今、どこで何をするかってかなり大切。それぞれにとって、そして二人にとって満足のいく人生にするには、外国に出向いた側の前向きさと、外国に迎え入れた側の理解と尊敬が重要だと思う。

たまたま国際結婚だった!

最後は、意識の持ち方。よくよく考えたら、私はそもそも結婚願望が低かった上に、まさかアメリカ人と結婚してニューヨークに永住するかもしれない可能性なんて考えたこともなかった。

そんな私の結婚が、たまたま国際結婚だったっていうだけ、そんな感覚。

ほかの結婚を知らないし、想像もできない。私の結婚はこれしかないわけだし、それが多少なりとも特殊だとしても、幸せで満足をしているならそれでいい!そんな余裕があればちょっとした面倒なことも気にならないし、そして双方の家族も私たちの結婚をより祝福してくれるのではないかな、と思う。


国際結婚って、実はとてもシンプル。どんな結婚においても大切である理解と尊敬のもと成り立っている。これからも、そういった当たり前なことを当たり前にしないようにしていきたい。

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