かつて友人が言っていた、「5月はニューヨークで一番好きな月だ」。数年前の彼の言葉を思い出して、「確かにそうかも」と思う。
往生際が悪くいつまでも冷たい日が続くニューヨークの長い冬が、やっと明けたと感じられる5月。うだるような暑さがやってくるのを目前に控えながら、最も心地よく過ごせる束の間の春だ。
こんな当たり障りのない季節の話で始めたい気持ちになるのには、理由がある。この2ヶ月、毎日をしっかり、ゆっくり生きてきた。気温や気候で何を着るかあまり左右されない、#おうち時間 な日々にもかかわらず、季節の移り変わりを定点(自宅)からコマ送りで見てきた。外の世界を、まるで、小さい頃マクドナルドのハッピーセットでもらった、カチカチとボタンを押すとシーンが移り変わるおもちゃ(何て言うのかな、あれ)で覗いているような感覚。
といっても、ニューヨークでは一切の外出が禁止なわけではない。私のように #stayhome できる人々に、必要な買い物や、軽い散歩・ジョギングは許されている。マスクを着用し、ソーシャル・ディスタンシング(人との距離を約2メートル空けること)を守りながら、外の空気を吸うことができる。
ここ最近は、週末に夫と買い物兼散歩で1時間ほど外出している。5月に入ってから迎えた2回の週末、カメラを持って、街の様子を少しだけおさめていた。私の拙い写真技術と限られた目線で撮った写真ではあるけれど、見返してみると、5月の柔らかく穏やかな日差しを浴びたニューヨークの、光と影を感じた。そうか、出歩く人が少ないニューヨークでは今、影は遮られることなく伸びているからか。
パンデミックなんて呼ばれる中、メディアで語られているように、この街が本来持つ光と影が、映し出されているみたいだ。
少しずつではあるが、ニューヨークは「最悪の」「未曾有の」事態は抜け出そうとしている。少なくとも、日々更新される数字はそれを物語っている。
しかし、このパンデミックを通して、私の街はかなり消耗した。多くの人々が命を落とし、仕事を失い、希望が持ちにくくなった。ニューヨークがニューヨークである上で欠かせないものの多くを、欠いてしまっている。
ニューヨークは、いろいろあってエキサイティングな街。愉しくも難しくもあり、新しくも古くもあり、大好きでもあり嫌気もさす。ソーシャルにも、パーソナルにも、この街の明るいところと暗いところは、きっとニューヨークに住む多くの人々が今、これまでにないほど強く感じている。遮るものがない今の街が映し出す、光と影のように。
持つ者と持たざる者が共存する中、その差は今までにないほど濃くなった。自分のためか他者のためか、各個人の思考や行動の違いは大きく表れた。
人種、民族、文化、宗教、etc. – この小さい土地にありとあらゆるものが詰め込まれた、エブリシング・ベーグルのような、全部のせラーメンのような街は、トッピングがそこら中に散らばってしまった感じだ。
そして、一日ずつ生きていく中で、私の気持ちの波は自分でも信じられないほど荒れた。
私は3月の後半に、「誇り、虚しさ、向ける矛先のない小さな悲鳴」という文章を書いた。
あの時の私は、起きていることを受け入れるのが最優先だった。そして、今を生きるのに不可欠な強さを保つのに必死だったのだ。そのためには、明るいところだけ見よう、暗いところは理解しつつ、必要以上に目を向けないようにしよう、と。目の前の出来事と、社会とか政治とかに、圧倒された。
1ヶ月半経った今、当時目をそらしていた影は、確かにそこにあることを受け止めることができる。春の心地よい日差しがそうするのか、明るさがあれば暗さもあることが、自然と入ってくる。
3月の私は、まだ寒さが続く中、肩を縮こませ、春が訪れることを待ち望むことしかできなかったんだろうなぁと、ぼんやり考える。
はやく来いと願っていた春は、やって来た。状況は、依然厳しい。
しかし、少なくとも穏やかな気候があるし、待つことにも慣れた。次の季節だって、きっとまたすぐやってくるのはわかっている。もうしばらく辛抱だな、と思える。
もはや、100年に一度あるかないかの非常事態を経験したニューヨークで、”Stay positive!” とばかり言っていられなくても、誰も責めたりしない。ちょっとでもポジティブな日があったらいいね、くらいなもんだ。アパートの屋上すら閉鎖している。ひかげの一切ないひなただけの世界など、今のニューヨークではなかなか見つけられない。
いいこともそうでないことも起きている。いい人もそうでない人もいる。気分がいい日もそうでない日もある。光と影があるんだ。それを見て、そこから、できることをしていこう、そんな風に感じている。
このパンデミックのもたらしたものは、私には想像も想定もできないほど大きい。光と影のコントラストは、もっと暖かくなり日差しが強くなるにつれて、今見ているものよりもっと濃くなるかもしれない。その時はまた、季節を進めるごとに受け入れることから、始めていこう。