THE LITTLE WHIM

会話が生まれるのは嬉しいけれど、理不尽な攻撃にはやはり傷つく

この記事には、私が直接受けた攻撃的な言葉がそのままの形で掲載されています。過去の経験などから、個人に向けられたネガティブな意味を持つ攻撃性のある表現に敏感な方は、充分考慮された上で読み進めるかどうかご判断ください。

ここ THE LITTLE WHIM 、ならびに(連動しているようであんまりしていない)インスタグラムに遊びにきてくださる方々、ありがとうございます。

一方的な場所なんだけれど、
ときに生まれる会話が嬉しい

私にとって THE LITTLE WHIM は、自分の発見や、感じたことや思うこと、考えたいことを書くスペース。一方的なんだけれど、訪れた方々が読んだあとの延長線上のどこかで、なにかを考えていたら嬉しい。読者の方々とまるで一緒に考える場所のようになっていたらいいな、という理想もある。

コメントやメッセージを送ってくださる方がいると、その理想に大幅に近く。インターネットやソーシャルメディアにはこわさや闇がいーーっぱいあるけれど、それでも私は、物理的距離を飛び越えて会話を生みやすくしてくれる要素には、ほかに代えられないありがたさを感じている。

とはいえ… インターネットやソーシャルメディアにいーーっぱいあるこわさや闇が持つ、コミュニケーションにおける攻撃性や破壊力は、実生活で感じるそれらに比べ実体が掴めず、ゆえに感じ方はときに大きくなる。そして手応えのなさから、特有の引きずり方をしてしまうことも多い気がする。

実生活で不条理なひどいことを言われて、怒りや悔しさから反論したくなることはある。それをうまく伝えるなりして賢く対処し、なんなら頭の中でパンチして、スカッとした気持ちにすることはできる。しかしオンラインの世界では、相手の顔さえはっきり見えやしない。話すトーンもわからない。何者か一切知らない場合も多い。なので得体の知れないものに拳を振りかざそうにも、完全に空振りする。

THE LITTLE WHIM のような、零細と呼ぶにも及ばないほど小さな場所でも、理不尽なコメントの攻撃が投下されることがある。もっとずっと大きな存在である方たちが受けるものとは、規模においても深さにおいても、おそらく比較にならない。経験も少ないので、議論として未熟さがあると思う。

・・・なんだけれど、ちょっと言わせてもらいたい。

私が特に我慢できないのは、私の見た目に対して届くネガティブなことを伝えるコメント。しかも、それがなぜか巧みにも私の人間性や生き方への攻撃にまでつながっている時の理不尽さったらないんだから。

理不尽なコメント その1

たとえばこんなことがあった。以前、ヘア&メイクアップアーティストである友人に、モデル(というのは言い過ぎで、顔と髪の提供)として協力した。

鏡の前に座ると、アイシャドウやチークブラッシュなど色とりどりのパレットとメイクアップブラシがいくつも目の前に並ぶ。慣れない私はワクワクした。すると友人はふと、「今回はすべてヴィーガン & クルエルティフリーのコスメで揃えたからね」と言った。私のポリシーを思って選んでくれたようだ。

自分ではできない、プロフェッショナルな仕上がり。そして友人の気配りが嬉しくて、終わったあとに撮った写真を、説明とともに #ヴィーガンコスメ、#クルエルティフリーコスメ のハッシュタグをつけてインスタグラムのストーリーズにあげた。リアクションやコメントがDMでいくつか届いた。「思いやりのあるメイクさんのお友達ですね」「メイクアップ素敵です」など、優しさ溢れるメッセージや絵文字… そこに、ギョッとするものが混じっていた。

法令線すごいですね。ヴィーガンコスメがどうこう言うあれじゃないですよね。

3度見くらいした。そして自分が載せた写真もあらためて見てみた。確かに法令線はくっきりしているし、昔より濃くなったかも。私の頬は母譲り。小さい頃から似てなかった私と兄だけれど、頬だけは同じで、兄妹であることを感じられる箇所。自分では見慣れていても、初めて見ると「すごい」という印象になるのか… と気づく。

そして、その「法令線がすごい」私は、「ヴィーガンコスメがどうこう言うあれじゃない」… のか…。文脈がよくわからなかったけれど、「ヴィーガンコスメがどうこう言う前に、法令線どうにかしろ」ということ?「法令線がすごいんだから、ヴィーガンコスメがどうこう言う資格ない」ということ?もしかしたらその人はいわゆるアンチヴィーガンで、「ヴィーガンコスメがどうこう言っているから、法令線がすごいんだ」と、ヴィーガニズムを否定する意図を含んでいたのかもしれない。

高揚していた私の気持ちに、唐突に外部から強制終了ボタンを押された。そしてしゅわしゅわ〜とフェードアウトしていくエネルギーから惨めさやら怒りやらが生まれ、固まった。

理不尽なコメント その2

少し前に、プロフィール写真なるものを撮った。「一緒に考える」を実現する上で、私が誰かそれなりにわかるポートレイトがあるといいかな、と感じたから。メイクアップや衣装はすべて自前。行きつけの植木屋さんの外で撮ることを口頭でカジュアルに許可取りして、カメラを使い慣れない夫による撮影。めちゃくちゃ手作りの、アンプロフェッショナルな代物だ。それでも、私はそれが THE LITTLE WHIM らしいと思った。

インスタグラムにもその写真を投稿した(現在は非公開)。たくさんの人がハートマークを押してくれたり、応援するコメントをくれた。嬉しかった。

しかし、その少しあとに「実は愛用中 – 月経カップについてとことん話してみる」という記事をこのサイトにアップしたら、私のプロフィール写真のインスタグラム投稿に、コメントが3つ増えた。しかもギョッとするタイプの。

顔出ししながら、生理用品についてリアルに書くっていう神経がわかりません。よく見ると綺麗でもないし

生理とかってゆうテーマ発信する人で、インスタ見たら気取った顔しつつあぐらかいてておまけに旦那アメリカ人のニューヨーク在住ってゆう。全部無理。」

3つ目は、あまりにグロいので、とてもじゃないけれどここには書けない内容だった。おそらく異性からと推測していて、私の見た目と月経を関連させていた。

「顔出ししながら生理用品について語る」ことへの嫌悪感は、いわゆる月経をオープンにすることのタブーから来ているのだろう。そう思う人がいるのは知っている。それを覆すムーブメントがあるからこそ、より抵抗する声が高まることも。その反発は想像以上に大きいようで驚いてしまったけれど、立て続けに私にも向けられた。よく見ようが見まいが、「綺麗でもない」私に。

その上、出している顔が「気取った」印象でもあったようだ。「あぐら」もタブーか。「アメリカ人と結婚したニューヨーク在住者」であることは、私の見た目には関係ないけれど、どうやらその人の「無理」と思う気持ちにとどめを刺したようだ。

気分のいいものではなかったとはいえ、この2つには、投稿を非公開にするほどの破壊力はなかった。正直、空振りで結構!と振りかざす空中パンチで処理できるほどのものだった。しかし3つ目の、恐怖を覚えるほどのグロいコメントには、決定力があった。

当該コメントを削除することはできる。でもそれより、また同様の恐怖を感じるようなコメントが残って欲しくなかったので、自分の精神衛生を優先して写真投稿はアーカイブした。ハートマークや前向きなコメントを送ってくれた方たちの気持ちが嬉しかったのに、それに勝るネガティブなコメントが持つ威力を感じたし、それは悔しかった。

※ 必要だと判断したものに関しては、インスタグラムの運営に通報しました。

どうして理不尽と思うか

ほかにも似たような経験は実はあるのだけれど、いくつも並べても仕方がない。挙げた例から、どうして私はこれらが理不尽と感じたかを考えることにする。

人の見た目のことを明からさまに言及している

まず、どのコメントも、人の見た目について言及する意図が強く感じられた。

誰かの見た目から視覚的印象を持つのは自然だと思う。たとえば「背が高い」「化粧が濃い」など、とっさに思ったり。それ自体はきっと誰にでもある。

ただ、それらを口に出す必要はほとんどの場合なくて、しかもそこから、「背が高い人はかわいげがない」「化粧が濃くて気持ち悪い」などといったように、個人的な感想までもぶしつけに伝えるのは不適切だ。もしそれが、「背が高いからきっとモデルだろう」のように、人によっては好意的な意味を含めていたつもりだとしても。ルッキズム(外見至上主義)が問題なのは、一般的な「きれい」や「かっこいい」などのものさしで測ることだけではなく、個人で見た目による優越の判断をしてしまうことにもあると思う。

いくら大人になって随分と経つとはいえ、見た目について否定的に言われたら傷つくし、忘れようにもそれなりにいつまでも気にしてしまって引きずるということも、経験してみて気づいた。

見た目から、個人に関する部分に発展している

そこで終わりではない。私の見た目への言及から、直接は関係のない、私個人の人間性やポリシーの話に展開している。

ヴィーガンコスメについてや、生理用品を話題にすること、どちらも私の見た目そのものとの関連性はないのに、まるであるかのように書かれている。

もしヴィーガニズムや月経を話題にすることについて思うところがあり、しかし同時に見た目に否定的なことを言って相手を弱らせようとしていたならば、なおさら悪質だと感じざるを得ない。

意図的な攻撃性を感じる

これは個人で差はあると思うけれど、私は少なくとも、どのコメントからもあえて人の気持ちを傷つける意図を感じた。

私の見た目から伝わるものに、好き・嫌いが分かれるのは理解できる。伝わる印象は、私が想像や意図したものとは異なることは往々にしてあるだろう。しかしそれが「嫌い」の方になったからといって、それを攻撃するのは許されるのか?

おまけに、個人の見た目と月経という生理現象をあえて関連づけて誰かにコメントを残すことは、それ自体が攻撃的だと私は思う。月経をオープンにする動きの履き違えだ。グロくて、気持ち悪くて、不愉快だった。月経がスティグマになっている背景を全く理解していないし、それ以前の問題だとも感じた。

「言う」か「言わない」か

私はなにも、否定や批判 を含め、指摘や意見を一切受け付けないわけでは全くなくて、建設的に伝えてくれたら、むしろありがたい。異なる視点や発展した議論ほど価値のあるものはない。今までに幾度となく、いただいた指摘や意見から、学びを得てきた。

実は私は、何度も会話をし信頼できる関係を持つ人たちには、「私の書くことに誤りや偏った目線はあると思うから、気づいたらおしえて欲しい」と話す。でも、友人・知人や信頼関係のある人たちは、否定や批判を示さない。おそらく、私を思いやる優しさがそうさせるのだ。

私と同じようなことに関心や知識、経験がある人たちは特に、私の議論の間違いや穴、危険性に敏感に反応するはず。それなのに、私が迷走していたとして、それを外部から止める能力があっても、傷つけたくないと思うゆえ指摘しないでくれているのだ。(とはいえ、そもそも友人や知人であるからと言って、その人に私をマネジメントする義理はないのも当然だ。「自分が気付いていないことを指摘して欲しい」というのは、私の甘えに過ぎないとも言える。自分の発言や発信に責任を持てるのは自分だけなのだから… これは自戒。)

結局は人としての優しさと思いやりだわ

同時に、私の友人・知人は、私の見た目に対して理不尽なことなど言わない。たとえば私の顔を見て「法令線がすごい」と思ったとしても、そんなこと口にしない。そこから私の支持するビューティのポリシーを否定したりするようなことも、もちろんしない。これも同じく、優しくて思いやりがあるからだ。

優しさとか思いやりって、大事だよ。この辺はまぁ、冒頭にも触れた通り、もっと複雑なケースを知らない私が持つこの議論の未熟さでもあるとは思うのだけれど、やはり優しさや思いやりがある方々は、理不尽な言葉を攻撃的にぶつけたりはしないと、私は思う。そしてほとんどの人は優しくて思いやりがあるから、そんなことはしない。

たとえばヴィーガンコスメとひとくくりに言ってもいろいろあって、その中で意見があるならば、それを述べればいい。月経について話すことに関して思うところがあるならば、それを切り出せばいい ・・・優しさと思いやりのある言い方で。見た目はそこに関係ないし、攻撃性も必要ない。

くわえて、やはりインターネットやソーシャルメディア特有のコミュニケーションであることも無視できない。「よく知りもしないのに言ってくる方が非常識なんだから、気にしなければいい」その通りなんだが… そうも簡単に割り切れない。直接会ったことはないのに交流のある方々にもらうかけがえのない幸せがあるからこそ、直接会ったことはないのに理不尽な言葉で攻撃してくる人たちからのダメージも、モロに受けてしまうのかな。

最後に

小さい存在なりにイヤな思いを経験した。恨み辛みは控えめにしようと思いながらここまで書いたけれど、そこかしこに表れていたかも知れない。最後に、もしインターネットやソーシャルメディアで理不尽な攻撃を受けた時に、私はどうしているかについて(相手への対応や今後の防止策ではなく、発生した時に自分自身のケアとしてどう対処しているか)。

実際の人間関係におけるものだと、「Aさんにイヤなこと言われてBさんに相談したいけれど、BさんはAさんとも交流あるからなぁ」といったややこしさが絡むことがある。より複雑にすることは避けたい。しかしオンラインの場合は、それが少ない(もしくはそうならない存在を探しやすい)。

なので、信頼できるしかるべき人に吐き出すのが、私は最も救いになる。実生活の、優しさと思いやりのある人たちが、最終的には最も落ち着く存在だと私は信じている。顔を見られて、話すトーンを聞けて、手を差し伸べてくれる。もちろん、その人のトラウマや負荷にならないように、細心の注意は払いつつ。


法令線のコメントを見て固まっていた私に、そばにいた夫はすぐに気づいた。ショックと恥ずかしさと怒りでぐちゃぐちゃになっていた私は、状況を彼になんとか説明した。夫が抱きしめてくれると、抑えていた涙が出た。私が少し落ち着いたのを確認すると、彼はこう言った。

法令線(英語で smile lines)があるのは、幸せな証拠なんだよ。

そう言う夫の顔を見上げてみると、私とは違ってすっきりしている頬を思いっきり吊り上げて、法令線を全開にした笑顔だった。泣いていたはずが、つい笑ってしまった。「へんな顔!」と声を出して笑った。また法令線が濃くなってしまうなぁ。・・・ま、それがなんだ。


私がこれに救われたのは、傷ついた気持ちを優しさや思いやりが癒してくれたからだけではない。「よく知りもしないのに言ってくる方が非常識なんだから、気にしなければいい」と、無理になかったことにはせず、そこから、「よく知りもしないのに言ってくれたおかげで、私の顔には幸せな証拠があるんだって気づいた」と楽観的に転換してくれたからだ。

今でもたまに、鏡を見ながら頬が気になり、イヤな気持ちになった時のことを思い出してしまう。その直後に、彼のにかっとした笑顔も浮かぶ。

そっちの思い出で上書きが完了するのも、時間の問題だと思っている。

トップへ戻る