今年読んだ数々の本を振り返る。Michelle Zauner の “Crying in H Mart” は、好きだった作品として記憶に色濃く残っている。
2022年10月追記: 「Hマートで泣きながら」として日本語訳も出版されました。
この本は、(私の大好きな)インディポップバンド Japanese Breakfast のフロントパーソンである Michelle が書いた、とてもパーソナルな回顧録。
韓国人の母と白人アメリカ人の父の間に生まれた彼女。本全体を通して、若くしてガンで亡くなった母親との思い出が、大きなエレメントとして綴られる。
母への愛情は間違いなく常にそこにあったけれど、反抗したりコミュニケーションがうまくいかなかった時期もあった。彼女の育ったオレゴンの白人中心の町で「ちょっと浮くほどすごく韓国人っぽい」母を理解できず葛藤した局面などを振り返り、後悔するような感情 — もう母に直接伝えることはできないそれを、丁寧に解きほぐし、そして読んでいて痛みを感じるほどに、正直に書き残している。
タイトルにある H Mart は、アメリカで展開される韓国系のスーパーマーケットだ。NYC にも数店舗ある。作中では、Michelle と母親をつなぐ大きな要素のひとつであった食べ物、なかでも韓国人の母が作ったり、ふたりで一緒に食べた韓国料理をめぐるさまざまなエピソードが、いくつも展開される。
母の死後、Michelle は H Mart で食材を買い、記憶に残る料理をいくつも再現することで、母を失った悲しみや苦しみと向き合う。その癒しのプロセスを繰り返す、母のいない日常のなかで、韓国食材が溢れるスーパーマーケットに身を置くと彼女は泣いてしまう。”Crying in H Mart “という少し風変わりな表題は、そのどうしようもできない状態をまさに表していて、この本で彼女が記すストーリーに引き込む。
スーパーマーケットで、泣く。Michelle が持つ母親の死という悲しみは、もちろん本人にしかわからないけれど、きっととてつもなく大きく重い。彼女の綴る文章を読むと、経験と想いとともに、彼女が H Mart で泣いてしまう情景は伝わってくる。
とはいえしかし、自分がスーパーマーケットで買い物中にもし実際に泣いている人と遭遇したら、きっと驚くだろう。どうしたの!?なにがあったの!?と、慌ててしまうかもしれない。
そんなことを考えていたら、アメリカのエレクトロポップバンド The Blow の “Parentheses” という曲を思い出した。
Parentheses とは英語で ( )←これ、つまり括弧のこと。サビの歌詞は、
「あなたが私を抱きしめると、私たちは括弧になる
ふたりの間には、包み込むようにたくさんのスペースができる
気持ちがおかしくなりそうでも、抱きしめられた腕の中で
大丈夫だって思える」
といった内容だ。
でも、思い出したのはサビではなく、そこから続くこの一節。
If something in the deli aisle makes you cry
Of course I’ll put my arm around you
And I’ll walk you outside
Through the sliding doors
Why would I mind?
もし食料品店の出来合いものコーナーにあるなにかがあなたを悲しくさせたら私はもちろんあなたを抱きしめる
そして自動ドアを通って、あなたを外に連れ出す
当然でしょ?
“Parentheses” The Blow
THE LITTLE WHIM 訳
この表現は、必ずしも食料品店の出来合いものコーナーの例えでないと成立しないわけではない。それよりも、普段の生活のなかの安心できるような場所であっても、誰かを悲しくさせることがある、というのが核心で、その引き合いに身近なものが並ぶ空間が出されているのだと私は解釈する。
そうすると、スーパーマーケットで泣くって、仰天することではないのかもしれない。
そしてそれはきっと、大切な人の死を経験した人に限って起きることではない。誰であっても、たわいもない食料品や日用品の溢れる場所で、というかむしろたわいもない食料品や日用品の溢れる場所だからこそ、急に別のなにかを呼び起こされることはある。普遍的で汎用的なものに囲まれながら、なにかが突然パーソナルになるような。
そうやって、スーパーマーケットで感傷的になることは、ある。
私とパートナーは、年の瀬になると、ニューヨークの隣の州であるニュージャージーにある大型日系スーパーマーケットに足を運ぶ。年末、年に一度の楽しみ。
NYC に、日系スーパーマーケットはいくつも存在する。私の住む北ブルックリンにも、コンビニくらいの規模のお店がある。それでも、ニュージャージーのそれは、遠出してでも行きたくなる。海外にいながら、日本の大型スーパーマーケット(書店やフードコートなどもある、都市郊外にあるようなちょっとしたショッピングセンターに近い)に来た感覚を与えてくれるのだ。
日本で母が買っていたのと同じそばは、そこでしか手に入らない(どうでもいい話だけれど、我が家は年越しそばがいつもざるそばだったので、NYC でも私は年越しはざるそば派)。切り餅も種類豊富に揃っている。
私は店内すべての通路を歩く。買う予定のないものが並ぶ棚も、ながめたい。パートナーはカートを押しながら、根気よく付き合ってくれる。
小さい頃から苦手だったおせち料理から解放された大人の特権で、おせちコーナーは素通りするけれど、歩調はゆっくり。あれが嫌いだった、これはまずい、なのに何日も食べ続けなくてはいけない、などと文句ばかり言いながら。おせち料理に馴染みがないアメリカ人のパートナーに試す機会を与えず、悪い印象ばかり植え付ける。
そのどれも、私たちの年末恒例行事を作る要素。どうってことないスーパーマーケットだと言っても、とくに2年以上帰国していない今の私にとっては、どうってことがたいそうある場所なのだ。
海藻コーナーで足を止めた。乾燥わかめを買いたかったんだ!NYC の日系スーパーマーケットとは比にならないほど多くの種類が並ぶ。正直どれがいいかあまりよくわからない。けれども、あーだこーだとうんちくをパートナーにさんざん言いながら練り歩いてきたので、じっくり吟味している風を装う。
そこには、一見して私たちのようなミックスの夫婦かカップルかなと想像させるふたり組がいた。見た目での判断に過ぎないけれど、私たちよりはだいぶ年配の、白人男性とアジア系女性のよう。女性の方は、日本語を混じえた英語で男性に話している。
わかめ選びに忙しかった私は、それなりの時間をそこで費やす。見れば見るほど、どれを買えばいいのかいよいよ本当にわからなくなっていた。するとふと、私よりさらに長い時間をそこで過ごしている先ほどの女性が話しかけてきた。
Do you know where hijiki is?
ひじきはどこかわかりますか?
ひじき!私は今わかめに参っているのに、今度はひじき!?
Oh. Let’s look for it together.
あぁ。一緒に探しましょうか。
近くの棚を見渡す。ただでさえ、言ってしまえばどれも海藻に過ぎないものがひたすら並んでいる。ひじきはどこだろう。その女性は、160cmの私より背が低い。少し背伸びして一番上の棚のラベルを見ると、そこに “Mehijiki” という言葉が見えた。棚は空だった。
Oh! It says mehijiki here, but I guess it’s all gone. I’m sorry.
あ!ここに芽ひじきって書いてあります。でもなくなっちゃったのかもしれない。残念ですね。
女性は相方になにかを伝え、ふたりはがっかりした様子だった。私にお礼を言って、そして引き続き棚のあちこちを探していた。私も、ひじきが食べたくなっていた。
わかめを選び、そのあとも店内をうろうろし、ふりかけコーナーにたどり着く。ゆかりご飯も食べたかったんだ!赤紫色の袋をカートに入れる。
すると、その少し先に、”Mehijiki” と書かれたパッケージを見つけた。おい!海藻仲間からはぐれて、ここにいたのか!残っていた2袋をとっさに手に取り、私は走るようにその通路を飛び出した。海藻コーナーに戻り、そのほかの通路をいくつかめぐって、先ほどの女性を見つけた。お茶を見ていた。
Hey! I found hijiki in the furikake aisle. There are only two left but if you want, here they are.
あの!ふりかけコーナーでひじき見つけました。2袋だけだったけれど、もしよかったらどうぞ。
彼女はとても嬉しそうに笑顔を見せ、お礼を繰り返し、そしてどこで見つけたかを何度も確認してきた。私はふりかけコーナーを指さして説明した。これで全部だけれど、と念を押しながら。
正直に言うと、私もひとつ欲しくなっていた。でも、すごく長い間海藻コーナーでひじきを探していたのだから、彼女が買うべきだ。
きっと、すんごく食べたかったんだろうな。もしくは、誰かに食べさせたかったのかな。彼女のストーリーはわからないし、日本出身者か日本人、もしくは日系アメリカ人だろうというのは私の想像に過ぎないけれど、もしそうだとしたら、海外在住で大きな日系スーパーマーケットで欲しいものが見当たらない時のがっかりはとてもよく知っている。故郷の遠さが、いやでも強調されるような。だから、見つかってよかった。
袋の中でぱりぱりに乾燥したひじき。水で戻して調理したら、ボウルいっぱいになる。2袋あれば、ひじきをしばらく楽しめるだろう。
ひと通り店内を周り、買いたかったものはカートにおさめた。レジを目指す途中、ふと、豆大福が目に入った。パックに入った、スーパーマーケットの豆大福。
私は昔からあんこが苦手だったけれど、豆大福だけは好き。塩辛い豆と、やわらかい餅が好き。
私は人生の長い期間、渋谷区神宮前、ようは原宿で育った。表参道から少し入った路地にある「瑞穂」という小さな和菓子屋店の豆大福が母は好きで、よく一緒に買いに行ったのを覚えている。毎日限られた数しか作られない、すごく大きな豆大福。よく、塩豆と餅の部分だけちぎって、母が分けてくれた。かすかについてくるあんこのほのかな甘みが、私には充分だった。
一時帰国期間中少なくとも一度は買う、豆大福。大人になってからは、とくに数年前にヴィーガンになってケーキやプリンを食べる機会が減ったからか、もしくは「歳を重ねると洋菓子より和菓子を好むようになる」現象が私にも起きたのか、以前よりあんこが食べられるようになった。
それでも、「あんこたっぷり」の売り文句は私には通用しない。職人さんには申し訳ないけれど、まあるい豆大福を潰してあんこを押し出して、それを呆れた顔を作りながら笑って見ている母の手にある豆大福にのっける。あんこがうっすら残った自分の豆大福を頬張る。
母の好物の、「瑞穂」の豆大福。ぺったんこに潰れた、私の豆大福。あんこが2倍の、母の豆大福。ニュージャージーで売られる、パックに3つ並んだ小ぶりな豆大福は、思い出のなかにあるそれとは違うけれど、食べたい。
和菓子コーナーの前で、いろんな記憶や感情がめぐり、もしかしたら自分が思っていた以上に長い時間を過ごしていたのかもしれない。理由はよくわからないけれど、とにかく私はなにかを考え決めかねているようだと気づいたパートナーは、「せっかく来たのだから」と、豆大福のパックをカートの一番上に静かに置いた。そして、欲しいものは全部買えたか聞く。私はうなずいて、そして長い買い物に付き合ってくれたことにお礼を言い、レジに向かう。
彼に、豆大福の思い出の話はしなかった。顔が、まぶたのあたりが、熱くなっているのを感じていたから。でもたとえもし泣いてしまっても、それでもうまく伝えられる感情ではないと、わかっていたから。彼がそっと対処しつつ、豆大福を私のこととして保ってくれて、ぐちゃぐちゃにならないで済んだのはありがたかった。
“Parentheses” のサビにあるように、たとえ抱きしめたりするような行為で大丈夫だと思える瞬間はあっても、ふたつの括弧( )の間にはスペースがあるのだ。そのスペースは、守られていた。
ブルックリンの自宅に戻り、夕飯を食べたあと、豆大福をパックからひとつ取り出す。小皿に載せたけれど、それでもどこかアンバランスに小さい。
あんこを押し出しても食べてくれる相手はいないので、そのままかぶりつく。
馴染みの和菓子屋さんのものではないし、と思っていたけれど、餅はやわらかく、豆は塩辛く、あんこは甘くて、それだけで充分だった。それだけで、豆大福の思い出の味がした。母と一緒に豆大福を食べる思い出がなかった2020年と2021年のさみしさも、口のなかで広がった気がした。
私の家族は、かつてロンドン郊外に長い間住んでいた。
今の私の日本食料品事情を聞くと、80年代の自分のイギリスでのことを振り返りながら、「私の頃はそんなもの手に入らなかったわ!」と母はいつも驚く。数年前にロンドンを訪れた際、ピカデリーサーカスで大きな日本食料品店を見つけたので写真を送ると、たまげていた。
母から、当時、日本の食べもののあれもこれも、材料やその代替になるものをなんとか探してきては自宅で手作りしていた話は、何度も聞いた。私が好きではなくあまり口にしなかったおせち料理を、一つひとつ作っていたことも。
海外で、日系の日常を体験する場所がある今の私と、なかったかつての母。
今の私の生活は、以前の母のものに比べてぐっと便利になった。だけれども、懐かしさとか切なさとか恋しさとかが溢れる場所に身を置くことで、胸がぎゅっとなる感覚も、私にはもれなくついてくるのだ。
そうやって、スーパーマーケットで感傷的になることは、ある。もしかしたら泣いてしまうことも、きっとある。それが、Michelle のものが彼女にとって癒しであったように、自分にとって必然で必要な、解放のための作業であるならば、すんなり受け止めたいと、私は思った。
2013年に渡米以来、もっとも長く日本に帰っていない期間が続く2021年の年越しは、日本で買ってきた食材が手元に一切残っていないので、ニュージャージーで揃えたもので迎えることになる。
それでも、日本での馴染みのあるそばを、日本での馴染みのある方法で、食べることができる年越し。(そしてそもそも私には、食べたいものが手に入り、一緒に時間を過ごす人もいるということ、、、これは年末年始のような行事のときにはとくに、誰しもがそうではないことは覚えておかなくてはいけない。)しんみりしちゃう瞬間もあるけれど、それも一緒に味わう。それが、私の2021年の終え方なのだろう。