エコーチェンバーの存在はわかる。では、チェンバー内のエコーにまぎれるズレは?

私は社会学や心理学やはたまた行動学や、そういったものを特別に理解するわけではない。それでも、社会のなかで、心理をもち行動するひとりの人間として、思うこと……

エコーチェンバーの存在を認識したつもりでいるけれど、その概念の理解の範囲をもっと広げる必要を、感じている。(ここで書きたいのは厳密には、「広げる」というより「内にももっと向ける」ということなのだけれども、まぁそれは最後まで読んでみてください。さして長くならない予感がしています。)

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そもそも私がエコーチェンバーを認識するようになったのは、2016年のアメリカ大統領選挙の結果を聞いたとき。

信じがたかったのは、私だけではなかった。友人や同僚の間、そしてインターネット上のウェブサイトやソーシャルメディアで、落胆や失望より、まずは驚愕が露わになった。

「みんな」がショックを受けている!っていやいや、「みんな」じゃないよ。むしろ少数派らしいよ……。

実生活にくわえ、それときっと同じくらいの影響やインパクトを持つ対話をするインターネット上の情報源やパーソナリティまでも、私の周りは似た思考でつながっていたことを痛感した。

エコーチェンバー。そのまま訳すと「反響室」となる。まさに、私がいた場所だった。自分のものと同じような価値観や考えが反響することで、それが実質より大きく成長し、絶対的で唯一の紛れもない真実かのようになっていた

その現象を概念として理解してからも、そこにいる真っ最中は、ついつい忘れてしまう。なにかが思いがけないかたちでかえってきて、一杯食わされたかのような状態におちいる自分に、呆れる。学習しろよ、と。

さすがにここ最近は、以前よりは注意深くなったように思う。自分は自分にとって都合のいい反響室を作りその内にいるけれど、するとつまりはその外もあるということを、意識するようになった。

そうすると、そしてここからが今日の本題なのだけれど、エコーチェンバーにいると自覚したうえで、自らのチェンバー内のエコーのズレにも耳を澄ますことを覚えた。特に課題や議題が複雑であればあるほど、こまかなズレがまるで不協和音のように聴こえてくるのだ。

今、プーチン大統領率いる勢力によるウクライナ侵攻が進むなか、#StandwithUkraine のハッシュタグは、私のインスタグラムのフィードに溢れている。ストーリーズでも、文字通り右から左へ、さまざまな画像や映像と文章とともに、このハッシュタグが添えられている。

私が身を置くチェンバーは、#StandwithUkraine であることは間違いない。連帯を表明することには 2,000% 賛成する。しかしそのチェンバー内で、次から次へと飛び込んでくる意見の真髄を、さながらノイズキャンセリング機能をオンにするかのように集中して聞き取ろうとすると、どうもしっくりこないものもある。

たとえば、特に気になっている風潮のひとつに、ウクライナのザレンスキー大統領の英雄化(支持や応援とは違う)がある。

(スクロール、スクロール)ちょっと待った。

この期に及んで、どうしてヒーローを求めているのだ?昨日今日に始まったことではない、長い歴史、多様な要素と無数のアクターが絡み合い、超絶に複雑で難解な場面に発展してもなお、どうして誰かひとりをまるで偶像化するのだ?それが一体、これから先なにをもたらすというのだ?

そう思っていた際に読み、とても興味深かった記事: “Volodymyr Zelensky Is Not a Meme” (Wired)

彼の英雄化に添えられるハッシュタグ #StandwithUkraine によって、私の声も同じ方向に響きそうになる。必死に抵抗する。とはいえ、直接的な当事者でなく、違和感を説明できるほど理解が深くないと、葛藤するだけに終わってしまう。

ほかにも、同意できないメッセージがハッシュタグとなり #StandwithUkraine と並列しているのにも何度も遭遇し、困惑する。

そうっか。エコーチェンバーは、内と外を知るための道具としてだけではなく、チェンバー内で聴こえているのはあくまでエコー(反響)であるという点にも配慮が必要なことのリマインダーでもあるのだ。自分のものと「同じような」価値観や考えが、エコーのなかで、「同じ」に聴こえてしまう(ひいては自分の声を「同じ」に響かせてしまう)可能性にも、気をつけなくてはいけない。

これはそもそも、ソーシャルメディアをはじめとするインターネット上での対話には限界がある、という前提を受け入れることでもある。ひとつの議論が多様な側面を持つ可能性があるうえで、発信する側がその一部を切り取る必要は、どうしても出てくるのだから。(この投稿だってそうであるように。)その限定的一部に、エコーをできるだけ取り除いた状態で耳を傾け、あるかもしれないズレにも気づいたうえで解釈できたらいいのかな。

そしてこれは、ヴィーガニズム、環境問題、レイシズム、フェミニズムなどなど、なににおいても通ずることだ、と思い出す。

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未熟なアーギュメントゆえもう終わりにしたいので、まとめると……。エコーチェンバーの認識とは、内と外を知ることだけではなく、内のエコーにまぎれるズレと、それを(無意識にでも)無視することで生じる同化の影響を考えることでもあるのかなってこと。

エコーチェンバーの概念の理解をしたうえで、私たちがより注力すべきなのは、反響室の内であっても外であっても感覚を研ぎ澄まし、学びを続け、理解と思考を深めていくことなのだろう、と感じている。それが、そこから先の行動に確信を与えてくれると信じて。