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サステナビリティとミニマリズム。
どちらかに興味があると、もう一方と交差する機会が多い気がするこの2つのコンセプト。ミニマリストがサステナビリティにたどり着くことも、サステナビリティの道を進む上でミニマリズムに出会うこともあるだろう。
私は、サステナブルなライフスタイルを送ることを心がけているけれど、ミニマリストではない。ミニマリズムからヒントをもらったり同じ方法をとる場面はあっても、実はこの2つは深いところで違うと思っている。「似て非なる」といった感じ。今日は、その話をしたい。ライフスタイルとしてのサステナビリティとミニマリズムは、決して対立するわけではないけれど、ぶつかるところがあるって話。
1. サステナビリティとミニマリズムの定義
まずはそれぞれの言葉の定義を見てみたい。どちらもコトバンクからの引用。
サステナビリティ
「持続可能性」を意味する“Sustainability”のカタカナ表記。環境保護活動分野でも使用されることが多い用語で、近年は企業活動分野でも用いられている。企業分野では、利益を上げるだけでなく社会的責任を果たすことで、将来においても事業を存続できる可能性を持ち続ける、という意味で用いられる。
(中略)
経済、環境、社会などの面でバランスよく社会的責任を果たすことで、サステナビリティは強化されるといわれている。
ミニマリスト(ミニマリズム)
持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。「最小限の」という意味のミニマル(minimal)から派生した造語。
(中略)
少ない物で豊かに暮らすという考え方自体は、環境問題の深刻化などを背景に以前からあった。近年は、物だけでなく多くの情報が流通する中で、たくさんの物を手に入れても満たされなかったり、多くの物に埋もれて必要な物が見えなくなったりして生きづらさを感じる人たちが増え、自分にとって本当に大事な物を見極めて必要な物だけを取り込むことで楽に生きたいと共感が広がっているようだ。必要な物だけを持つミニマリストの思想は、10年頃から流行した整理法「断捨離(だんしゃり)」などにも通じる考え方と言える。
サステナビリティの定義は企業向けの意味が強いけれど、個人におけるライフスタイルにおいても共通しているのは、「経済、環境、社会などの面でバランスよく社会的責任を果たす」の部分ではないかな。壮大な考え方であるとはいえ、経済、環境、社会の3つは、私たちが生活者として日々の行動や選択において気にかけたい項目であるのは同じだと思う。
一方でミニマリズムは、定義にも書かれているように、語源である “minimal”(最小限の)が核となる考え方。そして、興味深いのは、ミニマリズムは大量生産・大量消費へのカウンターカルチャーであり、モノが溢れることで「満たされない」「生きづらさを感じる」ことから生まれた生き方であるということ。環境問題が背景にあることも触れながらも、あくまで選択する本人のためという印象が強い。
私がサステナビリティとミニマリズムは似て非なるコンセプトだと思うポイントは、おそらくここにある。目的というか、「何のため」「誰のため」が違うのだ。
サステナビリティは経済、環境、社会のために責任を果たす考え方であるのに対して、ミニマリズムは最小限のモノだけを所有することで自分の生きやすさをかなえる考え方なのだ。
2. 具体的にどう違ってくる?
サステナブルなライフスタイルと、ミニマリズムのライフスタイル – この2つが「似て非なる」と感じる点を、衣食住の中から「衣」と「食」で考えてみよう。
ファッション
まずはファッションで比べてみる。
サステナブルファッションとミニマリストファッションで、共通するであろう点はどこだろう。「数」の部分で重なるんじゃないかな。要は、「数を減らす」というポイント。
しかし実際にもう少し踏み込んで考えてみると、実はそれぞれのコンセプトが考える「数」はどこか違うかもしれない。サステナビリティは「社会・道徳的に正しくない購買や環境負荷の数(数値)を減らす」ことを重視するのに対して、ミニマリズムはひとえに「所有する数を減らす」ことが重要になってくるのではないだろうか。
サステナブルファッションは、環境に与える負荷や、人権やアニマルライツへのインパクトを抑えた購買の心がけがポイントになる。そのためには慎重な購買選択をする。必然的に購入する回数が減る可能性が高いが、一方で私のようにファッションが好きな人は、今持っているモノを大事にするとともに、ローカルに古着を探したり、すでに所有しているものを知人・友人・家族間でローテーションして、ローインパクトなファッションを楽しむ方法を模索する。必ずしも所有するモノの数を減らすことがフォーカスではない。むしろ、お直ししたりしながら長く着ることが多く、買い足しをしても減らさない場合は、所有する数は増えていくことも。
ミニマリズムのファッションは、自分のワードローブを小さくし、必要なモノを厳選する。着回しが重視されたり、自身の真のスタイルを追求するファッションとも言える。「断捨離」や「こんまり」といった、モノを手放す考え方は、クロゼットの整理をする上で大きく支持を得た。
しかし、実際にどうやって手放すかへのフォーカスが少ないのが気になる。不要なモノを「捨てる」という行為は環境に優しいとも、責任を果たしているとも言い難い部分がある。「寄付する」という選択も、行き先が不透明な方法(結局は廃棄されてしまったり、他の国に大量に送られそれが山積みになる、など)も多く、サステナビリティの観点からは疑問が残るケースもある。ミニマリストには、高品質なモノを選択する人も多いけれど、高品質 = サステナブルではない可能性も多々ある。また、着られなくなったら捨てて新しく買えばいい、という考えのもと、ファストファッションなどからワードローブを選ぶ使い捨て派のミニマリストも存在するのを目にする。
キッチン
続いては、サステナブルなキッチンとミニマルなキッチンを比べてみよう。
インスタグラムで、#sustainablekitchen と #minimalistkitchen の人気投稿をそれぞれ検索してみた。
もちろんあくまで、ソーシャルメディア上のハッシュタグの使い方は人それぞれなので、この並びだけで両コンセプトが明確に判断できるわけではない。とはいえ、見えてくるものはある。
サステナブルなキッチンは、意外とゴチャゴチャ。人気投稿なので統一感があってきれいにしているとはいえ、あれやこれやが写っている写真が多い。というのも、サステナブルに食生活を送るとなると、結構あれやこれやが必要になってくるのだ。パッケージフリーで材料を買うのでそのための容器がある。何かと捨てずに再利用するためとっておく。
化学成分を多く含む大量生産品を避け自家製をするには、既製品を買えば1つで済むのに対し買い揃える材料・道具が増える。リボベジ(野菜の切れ端から芽を出したり育てること)の写真も見える。モノを増やすことが重点ではないけれど、実はサステナブルなキッチンにはモノが多くなりがちかも。
ミニマリストのキッチンは一方で、見事にすっきりしている。カウンターの上にはモノが少なく余白が見られる。棚にしっかり収納されていて、見せないこともポイントになっていると考えられる。シンプルに心地よく暮らすことが徹底されている印象だ。ゆえにミニマリストのキッチンにおけるモノの選び方や捨て方には、環境という面はあまり重視されていないかもしれない。モノを多く持たないために使い切り・使い捨てが用いられることや、社会的責任が果たせているとは言えない食品・商品があることも考えられる。
サステナブルな生活を送る人には畜産が環境に与える影響を考えベジタリアンやヴィーガンなどが多いのに対して、ミニマリストには特にそういった傾向はあまり見られない(これは私の体感だけど、ミニマリズムと畜産のアソシエーションは基本的に存在していないんじゃないかな)のも、この2つの考え方が違うところにあるからかもしれない。
3. ミニマリズムから学びを得たサステナビリティ
サステナビリティがライフスタイルにおける核になり、ここ数年で私のモノの選び方は大きく変わった。慎重になったし、必要以上に買うこともなくなった。どこか、ミニマリズムが私の生き方に加わったかのようにも感じることがある。
ミニマリズムが大量生産・大量消費へのカウンターカルチャーだとしたら、サステナビリティは確かにそこから学ぶヒントは多くある。「無駄を無くす」「溢れるほどモノに囲まれることが必ずしも幸福ではない」という部分にも共感する。しかし、真にサステナビリティを追求する上では、この2つは別物であることも理解しておく必要がある。「捨てる」「減らす」ことが与えるストレスフリーで解放されるような感覚を得ることを重視してしまうと、それは必ずしもサステナブルな生き方とは言えない。
そして、そこから先、いかに社会的責任を果たせる生き方を目指していくかにおいて、目線を自分の生活に置くのではなく、地球や社会を見据えた上で自分の生活に落とし込んでいくように捉えていくことを大切にしていけたらいいんじゃないかな。近頃ではエコ・ミニマリズムという言葉が使われる機会が増えているのも、目指すところは似ているけれど意識の持ち方に重点を置いている表れだと感じる。
繰り返しになるが、私はミニマリストではない。むしろ、昔の私は、ミニマリズムからはほど遠いところにいた。買い物が大好きだったし、好きになると集めたいタイプだった。
今私が実践していることにはミニマリスト的なアイデアも少なからずあるとはいえ、サステナビリティを識る以前の私が所有していたモノをむやみに処分していない。今となっては「どうしてこれを買ったんだろう」という後悔はある。そういった、こんまりさんの言う「ときめき」を感じられないモノは、「ときめき」を生まれ返らせる方法を考えるか、「ときめき」を感じてくれる人の手に渡る手段をとる。(私は、不用品をやみくもに慈善団体などに寄付するより、メルカリのようなアプリやフリーマーケットなどでお金を払ってでも欲しいと思う人に譲る方が、モノはきちんと引き継がれる可能性を感じる。その売り上げをお金で寄付した方が意義があると思う。)
(元)非ミニマリストがサステナビリティを目指すようになった結果、所有するモノが少なくないのは、私のゴールが「モノを持たない」とは違うところにあることの表れなのだろう。そしてひいては、先述のように、ミニマリズムが「自分のため」だとしたら、私はもっと広く「何のため」「誰のため」にできることを探していると思う。(個人的には、「自分のため」って、かえって続かないこともあるし・・・。)
限られた資源を考え、今持っているモノでこれからをいかにサステナブルに生きるか。ミニマリズムから学びを得つつ、サステナビリティの真の理解をより深めていきたい。
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