私の住むニューヨークでは、sustainable, ethical, mindful, conscious… といったキーワードは溢れかえっている。日本での情報を見ると、 SDGs からの引用がとても多い印象を受ける。
これらはいよいよ、かっこいいとか美味しいとか高品質とか良心価格といった要素と同等なほど、重視され始めているのかな?と感じる。
すると、同時に氾濫するようになるのはグリーンウォッシングである。ほぼ虚偽といえるようなものもあるけれど、だいたいはあやふや、あいまいなコミュニケーションから生じる現象。
今日は、グリーンウォッシングかと聞かれたら頭を抱えてしまうような話を、グリーンウォッシングの言葉からはあえて離れて、進めていきたい。私は決して、グリーンウォッシングポリスとでも言うのかな、「ピッピー(笛の音)!これアウト!」「ピッピピー!これもダメー!」をしたいわけではないからだ。
最近見かけた具体的な事例2つを見つめながら、そこから得る「違和感」にフォーカスし、思うことを書いていく。
※ 具体的な団体等を批判することが目的ではなく、主旨はあくまで「違和感」について考えることです。ゆえに、最後まで悩みましたが、取り上げる企業やブランドの名称は伏せることにしました。
「これ、ダメだよね」と
あけすけに言われると…
そもそも、完ぺきな商品・サービスの存在、完ぺきな企業理念の実現、完ぺきな消費・利用の実行は、不可能だと思っている。
それがむしろ大前提であり、その中でそれぞれが最大限の努力をする。そしてサステナブル、エシカル、エコなどといったダイアログやコミュニケーションを通して、つながりが生まれていく。私自身は、対象に完ぺきじゃない箇所が見える際、それが「妥協」に値するかは精査する。そして、その不完ぺきの認知と改善や発展についても知ることができるかどうかは、重要だ。
問題を無視し続けるのはもってのほか。とはいえ、聞こえのいいことばかりを売り言葉にされても意味がないような。その中で、完ぺきではないことをあえて語る – 要は「これ、ダメだよね…」と問題について明かされると、その思い切った正直さは際立ち、耳を傾けたくなる。「うんうん」とか、「なるほど、そんな事実があるのか…」と、聞き入ってしまう。
それを経て、気持ちはおのずと寄り添ったかのようになり、「だから、こうすることにしたんです」と聞くと、「よし!ならば!」と、支えたくなる。
正直さはありがたいけれど…
え、そっちに行くの?
しかし… それでも、というか、それがかえって、しっくりこないケースもある。問題の部分においては思い切って話しているようでも、肝心の解決や提案においては、実は説得力がないことに気づくのだ。
「これ、ダメだよね…」をあけすけに話されたことによって生まれる同情にも応援にも近いような関心を、時に意外な方向に持っていかれることもあるような…。
つまりは、正直さに気をとられ、実際に提示しているソリューションを含めたメッセージに、本当に賛同できるかの見極めを誤りかねない危うさがあることも覚えておきたい。
廃棄物の一時的ソリューションを
絶対的にしないコミュニケーション
産業廃棄物や、流通において規格外となったものを活用するビジネスは増えている。ファッションではデッドストック生地を利用するブランドがあるし、見た目が悪いとされ市場に出なかったオーガニック野菜を販売する業者も注目される。
先日、意見を求められた案件があった。北欧のある国のニットブランド。
資料を見てみると、国内で生産される羊毛の60%は余剰と判断され、市場価格が下がるため廃棄となることが書かれていた。当該ブランドは、その余剰羊毛に公正価格を払い、手編みのニット製品を作っているとのことだった。EU認定オーガニック農場とのみ取引しており、市場価値で営みが変動する彼らを支援する。そして製造において有害性のない成分を使い、トレーサビリティを重視していることが明記されていた。
余剰オーガニック素材を公正取引で買い取り、国内で労働条件を確保した上で安全な方法で製造している… エシカルファッションブランドとしての条件はかなり揃っている印象を受ける。私は、産業における無駄を活用するビジネスモデルには賛成だし、支持したい。
しかし、メッセージにおいて、どうしても大きな違和感が残ったのは否めない。これは動物の生(しょう)と密接に関わる産業の話であるから、なおさら。
どこにしっくりこないのか… 資料に、サステナブルな取り組みとして「余剰と判断される羊毛は60%にのぼる」→「その余剰羊毛に公正価格を払う」と強調されていたのが気になるのだ。まるでそれがすべてのソリューションであるかのように…。
今ある余剰羊毛を買い取り無駄にしないことには意義がある… しかしそれを絶対的な解決策としてしまい、そこに公正価格を払うことで、余剰羊毛の市場価値は上がり、適正と余剰の境目は、事実上とらえにくくなるのでは?ひいては、余剰を減らす努力が進まなくなる、いわば逆走の効果があるように感じたのだ。
化学繊維の台頭など原因はさまざまあるようだが、コモディティとしてのウールの市場縮小傾向は指摘されている。パンデミックもそれに拍車をかけているようだ。余剰が60%も生まれるほどに新しい羊毛が今も作り出されていることを、そんなに新しいものを新しい素材から作り出すことに焦らず今あるものを活用することを、じっくり考えるべきなのだ。
参考資料:
“Tough Times For The Wool Industry” (Gro Intelligence)
“Coronavirus: Sheep Wool ‘Barely Worth Selling Any More’” (BBC)
しかしとにかく、その国の60%という数字は衝撃的である。羊の毛は年に数回刈る「収穫」があると言われており、それは「生産性の高い」種として交配しこの世に生み出された羊だからなせる技である。つまりは、生産性の高い羊を作り出し生産した羊毛の60%が余剰となっているなんとも複雑で皮肉な現状。
参考資料:
“Genetic Selection for Multiple Births in Sheep” (CSIROpedia)
“Sheep Breeds” (Learn about Wool)
適正と余剰どちらにしろ、羊を育てるには広大な土地を要する。「放牧」などといったアニマルウェルフェアに配慮した方法であればなおさらだ。牧場として開拓すればするほど、その土地が本来擁する生物多様性は乱される。たとえオーガニックであっても、排出するメタンガスや飼料栽培に必要な土地開拓を考慮すると、羊飼育の環境負荷は大きいという報告もある。
参考資料:
“Organic Meat Production Just as Bad for Climate, Study Finds” (The Guardian)
“Land Use” (Our World in Data)
“Deforestation and Biodiversity Loss for Fashion” (Collective Fashion Justice)
くわえて、羊は豚に続き2番目に最も多く屠殺される家畜動物(鶏を除く)である。羊が利用される目的は羊毛だけでなく、肉、乳、革などがあり、複合的な場合も多い。そして、麻酔なしでのミュールジング(子羊の臀部の皮膚と肉を削ぎ落とすこと)を含め「人道的」と判断される飼育方法には多くの疑問が残る。生産性がない、つまりはもう羊毛が採れなくなった羊は経済的観点から保持されない場合がほとんどだ。屠殺に密接する部分には非登録移民など立場の弱い人々が充分な保護がない条件で雇われる現状が問題になっている上に、たとえいくら雇用や賃金体制の整った牧場であっても、従業員の精神的影響は無視できない。
参考資料:
“Australia Animal Welfare Standards and Guidelines for Sheep” (Australia Animal Health Council)
“Legal Protection for Animals on Farms” (Animal Welfare Institution US)
“Animal Welfare Guidance” (The UK Government)
“Global Animal Slaughter Statistics & Charts: 2020 Update” (Faunalytics)
“Slaughterhouse Workers” (Food Empowerment Project)
“A Call to Action: Psychological Harm in Slaughterhouse Workers” (The Yale Global Health Review)
当該ブランドが拠点とする北欧の冬はおそらくとても寒く、長いことだろう。ニューヨークに住む私も、ヴィーガンではあるけれど、暖をとるのにウールのアイテムにはお世話になっている。とはいえ、すでに持っているもの、人から譲り受けたもの、古着などから、実用的なセーターもときめく手袋も充分見つかる。リサイクルウールとして、一度製品になったウールを作り替えるアイデアも今はどんどん発展している。
参考資料: “Is a world Without Trash Possible?” (National Geographic)
そういえば先日私は、食品ロス削減に取り組むアプリを利用した。
余剰食品の市場を作り出し販売することは、日々出てしまう余剰食品救済には直接的なソリューションではあるが、食品ロス問題そのものの抜本的で本質的な解決策ではない。アプリを運営する会社のメッセージには、市民、ビジネス、教育、政治が一丸となって食品ロス問題全体と闘う必要性が明記されていた。サイトには資料も多く、考え方を広げてくれた。
そんなコミュニケーションの幅の違いをもんもんと考えていたら、思い出したダイアログがある。日本でビニール傘を活用しバッグなどを作っている PLASTIC CITY のものだ。
「10年後にはなくなるべきブランド」という、目を引くタグラインで展開している。日本で年間8,000万本のビニール傘が廃棄されていることやリサイクルも難しい素材であることを述べ、それ自体が解決すれば、自分たちのブランドはいずれなくなるというメッセージ。不用ビニール傘の回収も行っている。
こういった包括的なコミュニケーションは、動物の生を扱う産業にはなおさら必要なのではないだろうか。無駄にしているのは羊毛だけではない、ひいては羊の生なのだから。
一時的なソリューションに人々を招き入れるだけで終わりにせず、利用者の想像をかき立て、真に問題と向き合うよう導きダイアログとして発展させることこそが、求められていくべきだ。
誰かの夢、誰かのラグジュアリーと、
酪農の持続可能性
動物倫理や環境への意識から、動物の消費を避ける動きへの注目は集まっている。先述の余剰羊毛が多いのには、その傾向が関与している可能性もあるだろう。特に食においては、倫理、そして従来の宗教やアレルギーなどの理由にくわえ健康管理の観点も含めて、プラントベースは広がりを見せている。
2020年、世界でヴィーガニズムに関する検索が史上最高に増えたことが、グーグルトレンドの分析から見られているとか。
参考資料: “Interest in Veganism Hits All-Time High in 2020, Google Trend Reports Show” (VegNews)
COVID-19 は、人々の食との向き合い方を考え直すきっかけとしては充分だった。人獣共通感染症 (zoonosis) は今までもあったが、今回の影響は桁はずれに大きく、また今後も発生することへの懸念は膨らんだ。デンマークのミンクをはじめ、感染拡大は動物の命まで巻き込んだことに胸を痛めた人は多かった。食品サプライチェーンは大きく乱れ、肉や乳製品より植物性食品の方がパンデミック状況では好都合であった。アメリカでも欧州でも、食肉加工現場で感染のアウトブレイクが起きたことが報じられた。
参考資料:
“Statement: Preventing the Next Pandemic: Zoonotic Diseases and How to Break the Chain of Transmission” (UN Environment Programme)
“Covid: Denmark to Dig up Millions of Mink Culled over Virus” (BBC)
“How the COVID-19 Pandemic Impacts Animals” (The Humane Society of the United States)
“The winners and losers for category sales during the first 7 months of the pandemic” (Food Dive)
“Coronavirus: Why Have There Been So Many Outbreaks in Meat Processing Plants?” (BBC)
私自身2020年は、動物と人間の関係性や、地球の健康をたくさん考えた。そして2021年を迎えたすぐに、知人からおしえてもらい、ある記事を読んだ。
焼き菓子を作る日本のお菓子屋さん。代表者が、こだわりの自社製品の原料を自分で調達するべく、放牧型の牛農場を開いたという話だった。
牛を育てることの環境負荷は懸念しており、アメリカ西海岸で最新のアグリテックに触れ、そして同地で劇的に飛躍しているプラントベースのフードテック業界とも会話をした。その結果代表者は、時代の流れに逆らってでも、自分はやはり牛を育て始める、と決めたそうなのだ…。
… そのナラティブには、正直、驚いてしまった。
記事には、山林を活用した山間部での放牧で、自然との共存や、牛の糞を土に還すなど循環に重きを置いていると書かれている。いわゆる環境再生型農業のヒントを取り入れていると考えられる。環境再生型農業は従来の農法よりは優れていると言われている。しかしホリスティックなアプローチが必要であり、とはいえ環境負荷が大きい畜産や酪農と組み合わせた場合、実際にどのように効果が発揮されるかは未開の部分が大きい。
FCRN (Food Climate Research Network) の名のもと、オックスフォード大学やケンブリッジ大学などのアカデミアと、オーガニックフードシステム研究所などから多数の専門家が集まって発表した “Grazed and Confused?” は、牛などの反芻動物を放牧しながら炭素を土壌に隔離し、家畜が排出する温室効果ガスをオフセットすることは本当に可能なのか?という疑問に迫る。専門知識に乏しい私にもわかりやすい動画もある(英語)。
簡潔にまとめると、理論上不可能ではないけれど、実現には相当に綿密な管理が必要であり、無数の視点を取り入れて進めなくてはいけない、と語られている。たとえば、土壌はすでに炭素を抱え込んでおり、あらたにどれだけ隔離できるか精査を要することや、炭素隔離による温室効果軽減が家畜が排出し続けるメタンガスや亜酸化窒素に追いつけるかはかなり不透明であることがあげられる。長い目で見て、家畜からの排出を土壌の炭素隔離でオフセットするバランスを維持するのは、並大抵のことではないということだろう。
結局のところ、今すぐにでも牧草地は複数の農作物を織り交ぜた農場に切り替えた方が、土壌の健康を取り戻すのは手っ取り早い印象を受けた。そして動画は、動物性の生産・消費を減らしていくことをうながしながら終わる。… 今からあらたに牛を飼い始めることは、気候危機と向き合う上で前向きであるという確証はなさそうだ。
ちなみにくだんのお菓子屋さんは、地域の大学の研究所と専門的に分析しながら放牧の有効性を高めていき、データも公開するそうだ。現時点では、まだ多くが明らかになっているわけではない「地球に優しい酪農」の考え方。おまけに、動物の生を利用することには変わりない。
そんな思いをめぐらせながらこのお菓子屋さんの記事を読むうちに、このケースに私が特に違和感を抱いた理由が見えてきた。牛の放牧は代表者の「昔からの夢」であり、そして植物性市場が伸び続けた10年後には、牛の乳は「嗜好品」になる、と語られているのだ。
環境破壊の進行や世の中の倫理観の変化は、大人がかつて子供の頃持った夢の実現を難しくしているかもしれない。それは今の子供にとってはさらに大きいだろう。たとえばパイロットになりたいという夢は、カーボンフットプリントの観点から「飛び恥」が言われ、そして人の移動により感染症が世界規模で蔓延した今、輝きを失っているかもしれない。
牧場を持ちたい、という夢も、現実的ではなくなってきている。私が住むアメリカでは、需要が落ち続けている牛乳業界は厳しい局面をすでに迎えており、2019年から2020年にかけて大手2社がたて続けに破綻申請をしたことは、大きなニュースになった。
参考資料:
“We Could End Factory Farming This Century” (Vox)
“How Two Years of Changes in Dairy Led to Two Major Bankruptcies” (Food Dive)
もはや、アメリカ(そしてイギリスやEU)の酪農業界が息をつないでいるのは政府からの補助金があるからにほかならない、とも言われている。そして補助金の存在はむしろ、過剰生産を促し、多くの食品ロスを生む原因にもなっている。運営コストが高いオーガニック牧場ほど、いくら補助金があっても経営負担は大きくなる。転落している業界であることは紛れもない事実であり、酪農業社に補助金を与え続け生き長らえさせることよりも、酪農家をほかに転向させることが真の救済であるという意見も多い。
参考資料:
“Opinion: The Best Way to Help Dairy Farmers is to Get Them out of Dairy Farming” (The Washington Post)
“America’s Dairy Farmers Dump 43 Million Gallons of Excess Milk” (Wall Street Journal)
“French Farmers Sweat Over Subsidies in Post-Brexit EU Budget Talks” (Reuters)
“UK Farming Subsidies and Brexit, Explained” (Surge)
アメリカ酪農業界の厳しい現実は、日本にも関係している。2020年1月1日に発効した日米貿易協定により、アメリカから日本への牛肉・乳製品の輸出関税は大幅に下がった。アメリカの牛肉・乳製品が安く流出しやすくなったのだ。日本政府は国内の牛肉農家や酪農家を支援するべく、補助や緩和の政策を出している。
参考資料:
「ついに発効された「日米貿易協定」、日本の農業・農産物への影響は?」(SMART AGRT)
「農業生産、最大1100億円減 日米貿易協定 政府が試算」(日本経済新聞)
「政府、肉用牛農家など手厚く支援 日米貿易協定発効へ影響緩和策」 (Sankei Biz)
“Japan Proposes Subsidy Program to Increase Beef & Dairy Production” (Brownfield)
ここで、夢の話に戻る。さまざまな理由で先行きが決して明るくない酪農に抱く誰かの「昔からの夢」は、補助金が支える部分が増えていくかもしれない。それはつまり、人々の税金によって営まれるのだ。
夢を応援すること自体は素晴らしい。ただし、特に資金援助も必要な場合、どんな夢でもいいわけではない。明るく持続可能な未来が見える夢を支援したいな、と私は個人的に思う。
それは、「嗜好品」という部分でのもやもやにもなる。嗜好品は、特別な時にゆるされる、贅沢なもの。そしてその概念は、事実上限られた人のみ手に入れられるものだ。この代表者が牛の乳は嗜好品になっていると見据えている10年後、地球環境はどうなっているのか、なかなか想像しづらい。
今いる場所に住まえなくなる気候難民は、本格的に増えているかもしれない。食べ物への日常的アクセスに不安を覚える人々も増加している可能性が高い。手に入れることができる特定の誰かのラグジュアリーとしての乳に補助金が使われ、その一方で動物産業の環境破壊による損害を受ける人が増えるのであれば、それは不公平そのものではないか。
牛の乳を口にするという贅沢をどうしても手に入れたいという一部の需要のために、牛を利用しながら手を替え品を替え工夫をすることと、環境負荷がそもそも低く、そこからさらに改善を加えるべく植物性ミルクに時間もお金も労力も投資し、より多くの人に分配する方法をとる方が、私には理にかなっているように見える。どちらが完ぺきか、という話ではない。どちらが完ぺきに近づけやすいか、という話。
「夢」や「嗜好品」という言葉から想像されるものには、特別さがある。環境への意識を持ちつつ、夢を追いかけ、とっておきのなにかを形にするビジネスと聞くと、希望が溢れているように聞こえる。
しかし、サステナビリティとは、持続可能性のことだ。誰かの昔からの夢と、誰かのラグジュアリーと、酪農の持続可能性… この3つの共生…。
この事例を通して、放牧による(部分的)環境再生型農業の不透明さ、牛肉・酪農業界を支える補助金とそれに使われる税金、近い未来に起きうる気候変動の損害と環境正義・社会正義を思うと、応援したくなるこれからのビジネスの持つ要素と持続可能性が本当にともに成り立つのか、送られるメッセージを通してじっくり考える必要を感じる。
最後に
書いていく内に、やはり私は何かのポリシングをしているようで、むなしくも感じてきた。題材にしたビジネスは、資料や記事から伝わるメッセージと、それに関連する事象の情報をできるかぎり集めながら、いち個人として判断したに過ぎない。私には見えていないこともあるだろう。
しかし実際に、消費者や利用者という立場である人たちは、そうやって伝わってくるメッセージをもとに支持するかどうかを判断するのだ。専門知識は持ち合わせていない場合がほとんどで、個人で手に入れられる情報と、倫理と、そのほか生活環境などから付随する条件で、伝わってくるなにかが響くかどうかを見極める。
環境や動物の権利保護、人権への配慮などへの取り組みに言及するケースが増えているのは素晴らしい躍進であるとともに、それが実際になににつながっているのかじっくり考えられるコミュニケーションも求められていると感じている。
誰も完ぺきじゃない。だからこそ、よくしていく上での正直で真摯なサステナビリティのダイアログが、もっともっと欲しい。