ハワイで過ごした時間 — 複雑な歴史と多様な文化の理解・尊重 その1: ビショップ博物館

私はパートナーと一緒に、6月初旬にハワイを訪れた。ホームであるニューヨーク市で、認可ワクチン接種を完了して1ヶ月以上が経過。ハワイ州が指定する感染拡大防止に関するプロトコルを遵守し、オアフ島におり立った。

今回の旅で、私たちがもっとも大切にしたかったことの大きな一つについて、今日は記そうと思う。

ハワイのこと、よく知らなかった

規定上は許された旅行であり、自分たちの理解と実行可能性がおよぶ範囲で細心の注意をはらい、訪れる先ざきに最大限の敬意を表すよう努めた。しかしそれでも私たちが今、国内とはいえアメリカ本土ではない島に出向くことには、現地や旅程における安全を考えると良心の呵責があった。

そしてなにより、感染症がどうこう以前に、本土や世界での脱植民地主義・脱資本主義を考える機会が増えている今、土地を略奪され民族と文化が劇的に矮小化/同化されアメリカになったハワイの人々の島に、外部からバケーションとして踏み入ることの正当化には、迷いもあった。

fromtheplane

これは、私自身のアイデンティティの視点から考えると、なおさらよくわからなくなり言語化しにくい。ニューヨークで暮らす私は書類上移民であり、POCマイノリティだ。弱い立場として認識されることも多い。しかし、そこには大きなジレンマもあるのだ。本来先住民のものである土地は奪われ、多くの人々がそこに流れ込み奴隷が連れてこられるなか、アメリカは作られた。私はそのずっとあとになって、すでに確立したアメリカに、個人的には大きな苦労もなく自らの意志で日本からやってきた人…。

数百年前に先住民から土地を略奪した人々が今もアメリカのマジョリティであるゆえの「移民マイノリティを守れ」は、先住民を置き去りにし、今とちょっと前の過去の一部だけを見ていて、限りがあるのでは?だとしたら、そのアメリカに、必要に駆られてではなく個人の意志で住むようになった私って、なんなんだろう?飛んで火に入る夏の虫?遅れて現れた刺客的な存在??

これは本土もハワイもアラスカも、なんならグアム(準州)、プエルトリコと北マリアナ諸島(どちらも自治連邦区)、ヴァージン諸島(保護領)とかも、同じだ。独立と自由を勝ち取った、歴史上新しい大国であるアメリカは基本、奪った土地のうえに成り立っている。これについて、移民としてどう身を据えることが正しいのか/正しくないのかという議論は、なかなか簡単にはできない。ただ、近代的な国家や社会を考えるうえで、複雑であることは間違いない。

本土のニューヨーク州やカリフォルニア州同様、太平洋のハワイ州は日系移民が多い土地であることは、知識として持っていた。もともとは歴史上多くの場合が労働力として、19世紀以降日本からハワイに移り住んだ経緯、真珠湾攻撃から大戦が本格開始し日系アメリカ人や在米日本人が経験した迫害や隔離などの困難についても、書籍を通して理解を深めてきた。

しかし、それよりずっと前の、

そもそもハワイってどういうところ?

ネイティブ・ハワイアンと呼ばれる先住民がいることはぼんやりと理解しているけれど、どういう人たちなの?いつ頃、どうやってハワイに住むようになったの?

カメハメハ王の名は聞いたことがあるけれど、ハワイ王朝ってどう崩壊したの?

その土地がどうして、アメリカの州の一つになる経緯に至ったの?

・・・くわしく知らないことだらけだった。

ハワイの青空、広い海や美しい自然、強い日系基盤もあるカルチャーを求めた旅の計画の裏にある、そういった晴れない気持ち。今回の旅は、呵責や迷いもあるなかで実行したものであり、だからこそ、在米日本人とヨーロッパ系移民二世・三世ミックスアメリカ人である私たちにできる最大限の形で、ハワイの複雑な歴史と多様な文化の理解・尊重を心がけた。

理解と尊重といっても、限られた日数で、ほぼ無知だった状態からどこまでたどり着けたのかはわからない。学びと吸収、そして今後に続くさらなる探求を強く意識したといった方がきっと正しい。

私たちにできる理解と尊重を実現する第一歩として、ぜったいに訪れたいと思っていた場所があるので、まずはそこから始めたい。

ビショップ博物館 (Bishop Museum)

BishopMuseum facade

Bishop Museum 公式サイト 英語/日本語

ビショップ博物館 (Bishop Museum) は、妻である亡きバーニース・パウアヒ・ビショップ王女 (Princess Bernice Pauahi Bishop) のために、チャールズ・リード・ビショップ (Charles Reed Bishop) が1889年に創設した。オアフ島ホノルルに位置する。

Charles and Bernice

image via Bishop Museum

バーニース・パウアヒ・ビショップ王女は、カメハメハ王家最後の子孫。ビショップという名を冠しており、イギリス系背景の博物館のように聞こえるけれど、王家とのつながりが強いものなのだ。

王女は、減少傾向にあったネイティブ・ハワイアン人口や、先住民の言語と文化遺産継承のために、受け継いだカメハメハ王家の土地や資産を使ってカメハメハ・スクールズを設立している。カメハメハ・スクールズは今はほかの島でも開校しているが、ビショップ博物館の建物は実は、カメハメハ・スクールズの最初の校舎だった。

この博物館は、ハワイおよびポリネシアを中心とした太平洋諸島とその先住民、ハワイ王朝に由来する数多くの書類、写真と、歴史的希少品を所蔵する。

自然や科学に関する展示も豊富だ。

BishopMuseum inside2

参照資料: “About Us” (The Bishop Museum)

※ 私たちが訪れた2021年6月時点では、感染症拡大防止のため、時間指定での入場。

ハワイの歴史に触れる

以下、時系列や年号の確認に、Native Voice の Timeline を利用しました。

ハワイは数百万年前〜数十万年前に、火山活動によって生まれた島々。どの大陸ともつながっていないので、もとは無人島だった。ネイティブ・ハワイアンがハワイの島々に行き着いた経緯や、そこから紐解くほかのポリネシア諸島のとハワイの民族的関連性は、とても興味深かった。ネイティブ・ハワイアンは、タヒチの民族やニュージーランドのマオリ民族に極めて近いのでは?という記述もあった。

こういった人々がハワイに住み始めたのは、5世紀ごろとも、そのもっと前ともあととも言われているそうだ。これらの情報は、太平洋諸島文化の多くは表記文字を持たないため語りや刻まれた意匠によって近代に解明されたものに過ぎず、必ずしもすべてが正確に明らかになっているわけではないらしい。

BishopMuseum inside

ハワイの言語にはもともと文字がなかったということ、私は知らなかった。”Hawaiʻi” や “Aloha” とハワイの言葉をアルファベット(プラス ʻokina と呼ばれる記号)で見かけるのは、アメリカではピカチュウが “Pikachu” でトヨタが “Toyota” な現象と同じなのかと思っていた… だけれど実際には、19世紀にアメリカの宣教師がアルファベットをハワイに伝え文字として使われるようになり、それで本来は文字がなかったハワイ語が音をベースにアルファベット表記されているそうだ。

ちなみにハワイ語は、のちの王朝崩壊直後に、話すことも教えることも禁止される。現在このハワイ語禁止政策は廃止され、ハワイ州の公用語はハワイ語と英語になっており、ハワイ語伝承と教育の活動が続けられている。

参照資料: “Saving The Hawaiian Language” (University of Hawai‘i Foundation)

・・・歴史に軸を戻す。といっても、巨大な博物館で展示される長い歴史すべての内容はカバーできないので、時間をぐっと飛ばすことをお許しいただきたい。

18世紀後半にイギリスのジェームス・クック (James Cook 通称キャプテン・クック)がたどり着いたことから、ハワイ諸島は「(再)発見」されたと西洋史では解釈される。同じ頃、西洋から武器を手に入れた初代カメハメハ王は1795年にハワイ王国建国を宣言し、1810年にハワイを統治する。

それ以降100年ほど王朝は続く。しかし、イギリスやアメリカからの土地政策など数多くの政治的介入、軍事基盤開発、サトウキビを中心にコモディティの貿易関係がアメリカ寄りに激化、キリスト教化や文化的・民族的同化などにより、ハワイはどんどん変化(弱体化)していく。フラなどネイティブ・ハワイアンの伝統文化には、西洋の基準から「野蛮」「みだら」などと判断され、矮小化されたものも多くあることを知った。

そして19世紀には、外部から持ち込まれた感染症によりハワイの人口が減少し、サトウキビ産業の労働力として、日本をはじめとしたアジア諸国からの移住が盛んになる。

BishopMuseum plantation

憲法改正などアメリカとの関係性再構築が試みられるが、本土からハワイへの移住者が増えサトウキビプランテーションビジネスは拡大し、ますます強い力を持ったアメリカは王権に対しクーデターを起こす。1893年に王朝は崩壊され、ハワイは王国から傀儡政権の共和国となる。1898年にハワイ共和国は併合され、米自治領ハワイ準州となる。

このあたりの史実に時系列を追って触れ、ハワイ王朝最後の国王であるリリウオカラニ女王 (Queen Lili’uokalani) がイオラニ宮殿に幽閉されながらも闘い守ろうとしたハワイとしての誇りを知り、なんともいたたまれない気持ちになった(これに関する書籍も今読んでいるところなので、またの機会で触れます)。

20世紀に入り、ハワイは大戦においてアメリカの太平洋軍事拠点となる。そして終戦後、1959年にハワイはアメリカ合衆国の50番目の州となり、都市・リゾート開発が進められ、今私たちがイメージする観光業などの産業で知られるハワイの状態に近づいていく。さまざまな民族・人種が住み、独自のカルチャーが形成されていく。

1993年のクリントン政権時に、アメリカ政府は、100年前のハワイ王朝転覆は違法であったことを認め、ネイティブ・ハワイアンに正式に謝罪を発表した。ハワイの小さな一部の自治権が返還された。やっと不当と認められた歴史だが、本格的な改めにはまだまだ遠く、先住民たちは本来保持していた土地や権利の返還や、過剰な産業や観光業による自然破壊に対して活動を続けて今に至る・・・。

参照資料:
Public Law 103-150 (U.S. Government)
An Introduction to the Rights of the Native Hawaiian People” (University of Hawai‘i at Mānoa School of Law)
Mauna Kea Protests: Native Hawaiian Activists Are Fighting for Their Sacred Land” (Teen Vogue)

・・・もちこん、ここに書いたのはハワイの長い長い歴史のほんの一部に過ぎない。ビショップ博物館には膨大な資料と解説があり、私たちが過ごした数時間では、足りなかった。表記はすべて英語だったけれど、日本語オーディオガイドもあるよう。

特別展示
(Re)Generations: Challenging Scientific Racism in Hawaiʻi

BishopMuseum regeneration

私たちが訪れた際は、特別展示として “(Re)Generations: Challenging Scientific Racism in Hawaiʻi” が公開されていた。これが、身の毛もよだつようなおそろしい内容だった。

BishopMuseum regeneration5

1920年代、人類学者ルイス・R・サリヴァン (Louis R. Sullivan) により、人種科学の名のもと人種別優生学のリサーチが進められ、ネイティブ・ハワイアンの科学的データを多く所有するビショップ博物館は協力した過去があるそうだ(ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館も参加したらしい)。そこでは、「真にピュアなネイティブ・ハワイアンの血」が検証された。

優生思想に基づく人種科学は、非倫理的であり悪名高いだけでなく、奴隷制度や植民支配を正当化する役割も持った。しかし一方で、これによってネイティブ・ハワイアンの血統的歴史の研究を進めることもできた。

BishopMuseum regeneration3
BishopMuseum regeneration04

ちなみにこういったリサーチは、ヒトだけではなく、ハワイ原種植物の遺伝子研究にも影響をもたらしたそうだ。

BishopMuseum regeneration2

ハワイには、少数民であるネイティブ・ハワイアンを優遇する奨学金などの制度があることを、ハワイ在住の友人から聞いた。移民が多く民族間や人種間のミックスが増える現在、「どれくらいネイティブ・ハワイアンか」という尺度は、今のハワイに事実上存在するそうだ。

サリバンの人種科学の背景にある危険な白人至上主義的優生思想は決して今後繰り返さない形での、ネイティブ・ハワイアンのレガシー継承の道を、科学の面からもしっかり進んでいく必要があるのだろう。倫理と科学と民族維持・・・なかなかうまく消化できないものが残る、非常に重い内容だった。

※ この特別展示は、2021年10月24日まで公開されている。


ビショップ博物館に訪れ過ごした時間は、冒頭で触れた通りハワイに関してほぼ無知であった私たちに、ハワイの複雑な歴史と多様な文化にどっぷり浸かる機会をもたらした(とはいえもちろん、ここにある情報がすべてではないとも思っている)。

アメリカのニューヨークに住む日本人として、ハワイの持つ美しいビーチや山々、最高に気持ちいい気候、多様な人々が作り出した独特なカルチャーのなかに身を置くのは、旅行として訪れるうえでの楽しみだ。

しかし、アメリカ大陸ではないのに国内旅行ができてしまう、または日本から7時間程度のフライトで行けるアメリカでもある、太平洋の真ん中にある島々・・・それだけでも、なんだかおかしなことなのだ。

それを認識したうえで、ガイドブックやインターネットで得られるような表面的な観光情報だけで切り取るのではなく、その土地がなぜ今の状態に至ったかは伝承され、失われたものはなかなか完全には取り戻せないとはいえ、継承されるべきものはしっかり可視化されなくてはいけない。その活動に尽力している現地の博物館には、敬意をはらいたい。こういった機関が行ってくれていることを当たり前にせず、私たちも参加しなくてはいけないんだろうな。せめて、つなげていきたい。

・・・と思い、これを書いたんです。

そしてこういった姿勢が欠かせないのは、ハワイに限った話ではないことを、忘れないでおきたい。

長くなってしまったので、「ハワイで過ごした時間 — 複雑な歴史と多様な文化の理解・尊重」はシリーズ化することにし、その1はビショップ博物館編ということで、これでおしまい。

その2では、私がハワイで過ごした時間に見たり感じたことや、ハワイ出身の友人たち(韓国系アメリカ人と、アメリカ人とフレンチカナディアンミックスの白人アメリカ人の、2人)から聞いたことなど、ランダムなピースを集めながら残す予定です。