手洗い石鹸を入れるソープディッシュを、手で洗う

我が家は、手洗いは固形石鹸で行う。キッチンと洗面所には、それぞれ手洗いの任命が託された石鹸がある。

洗面所の石鹸は、数年前に買ったディッシュソープの上にたたずむ。白い陶器製で、デザインが気に入って購入したもの。しかし、使用するうちに気づいたことがある・・・ひどく汚れるのだ。いわゆる石鹸カスと、おそらく周りのホコリなどが合体したものが、こびれつく。2週間もほうっておくと、衛生面が気になるし、衛生的ではないさまをかもし出すかのように見栄えが悪くなる。

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なので、気がついた(かつ気が向いた)時に洗う。・・・人生って不思議だなぁなんて、ぼんやりと考えながら。

手を清潔にする習慣のために存在するものが、汚れをもたらし、それを結局自らの手で洗っているのは、とても妙ではないか。それを終え、ふぅと一息つきながらまた手を洗っている自分にいたっては、滑稽にすら感じる。

そんな日常のひとコマから、そういえばそれに似た感覚を、どこかほかのところでも持つことがあるのを思い出した。

・・・そうだ、「(実質)ネットゼロ」「カーボンニュートラル」の言葉があちこちに溢れるなか、それって結局のところどういうことなんだろう、と考える時のあれだ。

話はぶっ飛ぶようだし、もちろんこれはかなり簡略化したうえでなぞらえているので、この2つには同じではない要素はたくさんある。だけれども、自分でもたらしたものをせっせと「なかったことにする」営みという側面では、どこか似ていると感じるのだ。

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ネットゼロ (net zero) やカーボンニュートラル (carbon neutrality) とは、(石油・石炭・天然ガスなどから生じる炭素やメタンガスをはじめとした)温室効果ガスの排出削減に努めつつ、目標に届かない部分については森林開発や自然発電エネルギーなどのプロジェクトに投資したり、企業や団体からマーケットを通してカーボンクレジットを購入することで、達成できる。

ようはバランスの話で、(実際の自分の)プラスを、(他者のプロジェクトから推定できる)マイナスをもって遠隔でやりくりして相殺し、事実上「なかったことにする」のだ。

参考資料:
カーボン・オフセット」(環境省)
Can you really negate your carbon emissions? Carbon offsets, explained.” (Vox)

私が自分で汚したソープディッシュを洗面所でえっせえっせと洗うのと比べているのは、やはりなかなか無理があるかな・・・なんだかとってもややこしく規模の大きいことだ。

とはいえ今ではいたるところで聞いたり目にする、排出を相殺するコンセプト。さまざまな政府や有名企業がネットゼロ目標を次つぎに発表しており、大きいところからのそれはほぼ出揃ったのでは?感もあるくらいだ。影響力のある存在が、みな気候危機を強く意識しているのかな。それならきっと、未来は明るいじゃないの。そんな風に感じなくもない。

しかし一方では、こういった大きな存在が発表する目標は小手先のことに過ぎないにもかかわらず、キーワードが踊り最前面に出ることで、排出そのものを減らす・なくす努力を遅らせる危険性を持つという警鐘も、鳴っている。

というか、私のようにわかったようでわかっていないのに、わかったふりをついついしていまう存在にも、それは響いて届いてきている。

たとえばナオミ・クライン (Naomi Klein) 氏の著書「これがすべてを変える — 資本主義VS.気候変動」(原題は”This Changes Everything – Capitalism vs the Climate”)でも、一つの章を割いてこれについて説かれている。日本語では2017年に翻訳出版されたこの本、オリジナルは2014年に書かれたものだ。

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私は英語で読み(該当する章は “6. Fruits, Not Roots: The Disastrous Merger of Big Business and Big Green”)、さまざまな力のある者たちがあの手この手を使って、「グリーンな排出」を続ける仕組みにいかにしがみついているかを識った。

そしてそういったビジネスが及ぼす影響は、注目が集まりやすい温室効果ガス排出だけではなくもっともっと多大であることも — 住む土地の環境を汚染され健康を害したり、追い出されたりする人たちがいる具体的な事例は、読んでいてとても苦しかった。

2020年国際女性デーに企画されたイベントに出席した際の写真。登壇するナオミ・クライン氏(右)

9月にミラノで行われた Youth4Climate でのグレタ・トゥーンベリ氏のスピーチでも、彼女は世界のリーダーたちの口から出る “blah, blah, blah”(なんやらかんやらを述べるたわごとのこと)のひとつとして、「2050年までのネットゼロ」を挙げていた。

「揃いにそろって馬鹿にしないで。まやかしだってこと、気づいていないとでも思っているの?」と言わんばかり、腑に落ちないことははっきり口にし、皮肉たっぷりに怒っている彼女の強い姿が、そこにはあった。

こういった批判的な意見に耳を傾けると、「なかったことにする」はそれほど意味があるのか?と、ここ数年で感じるようになった。とはいえ、「やらないよりは、とりあえずマシなんじゃない?」という気持ちも、どこかにはあった。あぁ、毎度のモヤモヤが、また濃くなっていく。

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ここで、ソープディッシュを手で洗う話にぶっ戻ってみる。

ネットゼロやカーボンなんやらにはマユツバ的な要素があるとはいえ「やらないよりはマシ」なんだとしたら、その気持ちをソープディッシュ洗いに置き換えると、「(いくらその行為にどこかバカバカしさを感じるとはいえ)洗わなければ汚れは蓄積されるので、洗わないよりは洗った方がマシ」ということになる。

しかし・・・前半にも述べたように、この2つの事象は、並列したものの実質はかなり相違する。

私が手を洗うという行為と、現在の温室効果ガス排出の原因を生むさまざまな産業の行っていること・・・「なかったことにする」以前に、「なくす」ことができるかどうかが違うのだ

私は、手を洗う。これは必要で、ほかに変えられないことだ。感染症が・・・食中毒が・・・などと説明するまでもなく、多くの人々が現代の生活のなかで日常的に行っていることだと想像する。汚れを抑えるためにできるだけキレイに丁寧に石鹸を使う努力はできる。しかし、手洗いそのもののボイコットは違うだろう

一方で、石油やその他の産業の温室効果ガス排出を続ける営みは、どうなのだろう。(事業そのものとしては訴求性がある程度はあったとしても)すべてが必要ではないだろうし、事業の核となる部分における代替は存在する排出し続ける事業そのものと(段階的に)さよならする必要がある

つまり、「なかったことにする」に気を取られる間に、それをもたらす大本(おおもと)の部分を「なくす」ことは無用か不可能かのように錯覚してはいけないよなぁ、と思うのだ。

そうなってしまうと、「やらないよりよりはマシ」なこととして進められているさまに、私たちは違和感を持たなくなる。

くわえて、何度か述べているけれど、ソープディッシュの汚れは自ら洗うことができるのに比べて、排出の相殺は前述のとおり他者によるプロジェクトに遠隔で投資する場合が多く、どれだけの効果があるかは実際のところ不透明であることも追求されるべきなのだろう。

こういった複雑な動きは、巧みなブランディングやマーケティングも相まって、むしろ最大の努力をしているさまをかもし出す印象操作にまで発展する。排出そのものを減らす・なくす努力を遅らせる危険性を持つという警鐘とは、きっとそういうことなのだ。鳴っているものに、もっと耳を傾けないと。

現にその警鐘の音量は大きくなっており、活動家たちによるものだけではない。相殺によるネットゼロではまったくもって不充分であるということは、企業への制裁や、株主総会・取締役会のメンバー構成の変化として明らかになっていることにも、もっと注目したい。

たとえば、5月にオランダで下された、石油会社最大手のロイヤル・ダッチ・シェルに対する判決。シェルは、温室効果ガス排出量を50年までに実質ゼロとする長期目標を発表しつつも排出そのものは増大しているのを受けて、根本的に排出を減らすことへ焦点を当てさせる内容だ。

オランダ・ハーグの地方裁判所は26日、欧州石油最大手の英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルに対し、二酸化炭素(CO2)の純排出量を2030年までに19年比で45%削減するよう命じる判決を出した。シェルは控訴を検討している。裁判所が温暖化ガス削減の具体的な数値目標を課すのは異例で、石油業界への脱炭素の圧力がさらに強まってきた

引用元: 「オランダ裁判所、シェルにCO2削減命令 30年までに45%日本経済新聞

英語のメディアでは、同企業の与える影響は人権侵害にあたることにも触れながら、「歴史に残るランドマーク的な判決」と報じていたのをいくつも目にした。

6月には、同じく石油大手のエクソン・モービルの取締役会に、極小でほぼ無名である「物言う株主」(activist shareholder) のエンジン・ナンバーワンが選出した3人目が送られたことが、ニュースになっていた。

エンジン・ナンバーワンはエクソンの気候戦略を厳しく批判し、気候変動で同社が存立の脅威にあると主張。財務成績にも不満を抱き、4人の取締役交代を目標に動いていた。
今回の投票は米国の主要企業で化石燃料からの転換をめぐり委任状争奪戦が起きる初の事例となった。

引用元: 「米エクソン、環境活動家の取締役が3人に ヘッジファンドが推薦CNNジャパン

あくまで同企業の利益追求も大きな軸にはなっているものの、従来の炭素資源に依存したビジネスでは長期的に展開していくことが今後むずかしくなることを懸念する声が、強まっていることの表れだろう。

こういった動きは今後増えていくと予想されるし、「なかったことにする」ではなく「なくす」未来は、これくらいど直球で向き合わないといけないところまで来ているのを感じさせる。

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日常的な生活の中にある自分でもたらしたものをせっせと「なかったことにする」営みから考えた、ネットゼロやカーボンニュートナル。

そうゆうことってあるよね・・・あまりよくわからないけれど、でもまぁやらないよりマシだよね・・・と思いがちなことを、むしろ画期的なこととして必要以上に評価してしまう危うさってある。

相殺はあくまで付随的な要素で、そもそも根本的に減らす・なくす努力を最優先すること、忘れないようにしなくては。

ソープディッシュを洗いながら、人生の不思議を思ったけれど、なにも不思議ではなく論理的に向き合えること、もっとしっかり考えていきたい。

そういえば、そういったことをもっと意識的な部分で綴らせていただいた文章を、素材や生産と向き合い、最近完全受注生産を始めたファッションブランド EQUALAND TRUST AND INTIMATE が持つメディアの Think Piece というプロジェクトに寄稿しました。もしよかったらそちらも読んでみてください。→「『森を見て、木を見る』COOKIEHEADが考えるバイアスの制し方