COVID-19(新型コロナウイルス感染症)が日本で騒動になり始めた頃、私にとってそれは正直に言って対岸の火事だった。その火事が自分の母国で起きていたから、特に心配になった。家族や友人は無事だろうか、(若々しく健康ではあるものの、分類的には)お年寄りに入る両親は特に注意して欲しい、昨年の一時帰国で完成間近の姿を見た千駄ヶ谷の競技場はこの夏ちゃんと使われるのかな、そういった個人的な感情や思考が巡っていた。
それが、あれよあれよと、こちら岸の大火災になった。検査を積極的に行う方針のもと、感染者数・死亡者数ともに刻一刻と増え続けている。3月第4週の現在、私が住むニューヨークの街はほぼ完全に閉鎖され、いわゆるロックダウンの一歩手前の状態に入っている。雰囲気を一言で言うならば、不気味だ。
ニューヨークをニューヨークにする象徴が、みな元気をなくしている。各国の料理を楽しめるレストラン、建物だけですでに存在感のある美術館、明かりが消えないブロードウェイミュージカルのシアター、「私は私」なストリートファッション・・・。こういったもの一つ一つがこの街においていかに大事か、思い知る。今私たちが見ているニューヨークは、まるでニューヨークを舞台にしたパニック映画の一幕のようで、でもそれがスクリーン上ではなく目の前に広がっているのが、信じ難い。7年住んできて、こんなことは初めてだ。大袈裟ではない、本当に初めて。
誇り
ニューヨーク州、市ともに厳戒態勢で舵をとっており、必要がない場合の外出を徹底して最低限にする #stayhome は、クオモ州知事が毎日のように口にしている。人との距離を6フィート/約2メートル以上空けることを促す #socialdistancing も極めてシリアスにとらえられており、例えばスーパーマーケットは店内密度を下げるため入場制限し、行列をなす人々も6フィート間隔で並ぶ。
ニューヨーカー達が、言うことを聞き、どんよりした長い冬が明けそうなのに家で待機し、外で行儀よく並んでいるのは、奇跡に近い。「そもそもニューヨーカーってどんな民?」という人たちで成り立つニューヨークは、背景がみなばらばらで、それぞれの主義主張が強い街だ。ニューヨーク出身である私の夫の家族を例にとっても、バックグラウンドとしてはギリシャ・イタリア・ドイツ・カナダ・日本が揃っている。ディナー時はみんなが言いたいことを話すのでいくつもの会話が同時進行し、日本人の中でも特に穏やかな気質の方が見たら「ケンカしているの?」と思いかねない勢い。それが通常営業のニューヨーク。
そんな彼らが同じ方向を向いているというのは、間違いなく非常事態なのだ。
大学時代に9/11を経験している私の夫。まだ付き合って間もない頃、漠然と発生当時のことを聞いたことがある。マンハッタンの大学に向かおうとした矢先に起きた悲劇に恐れおののき、現場からはイーストリバーを挟んでかなり距離がある自宅の上も、何日間も灰色の空が覆ったことを話してくれた。先に出勤していた彼の父親は引き返すことになり、しかし交通機関はすでに止まり車道も封鎖されていたので、歩いて橋を渡ったと言っていた。とはいえ、そんな断片的な事実はおしえてくれるけれど、感情に触れる部分は、19年経った今、妻である私にも話したがらない。私も、彼が心の奥に鍵をかけてしまっておきたい気持ちを察し、尊重している。
経験していないことなので、私にはそれが一体ニューヨークにとってどれだけのことだったのかはわからない。軽々しく9/11を引き合いに出すのもご法度なのかもしれない。ただ、19年前に想像を絶するような困難を乗り越え、2020年の悲劇を迎えている今確実に感じるのは、ニューヨーカーの強さだ。「どんな民?」集合体であるニューヨーカーの一部である今の私は、彼らが急激に具現化する誇り高き一体感には圧倒されるとともに、心強く感じる。
ポイントは誇りなのかもしれない。夫のようにこの街で生まれ育った民にとっても、どこか違う土地からやってきた民にとっても、ニューヨークは誇りであり、それを守りたいし、闘いたいのだ。
虚しさ
しかしながら、守りたい誇りのために闘っている今回の相手は、ウイルスという見えない敵だ。私のような一般市民にとっては、これはシャドーボクシングをしているのに近い。毎日全く筋力のない腕で拳を振り回し、時にわぁぁぁぁと叫んだり、時にぜぇぜぇと息切れしたりしている感覚だ。自分のためと思えば強さを感じることができても、ニューヨーカーの誇り高き一体感の一部として何ができているのかと考えると、虚しさがつのる。
下手なシャドーボクシングより、私がニューヨーカーとして集中するべきは、見えない敵を目を凝らして見据え、最前線で闘っている方々をサポートすることだ、と気づく。医療・福祉、食料や生活必需品、政治、交通、メディアなど、私たちが今の生活をできているのはそこにいる彼らのおかげなのだ。感謝・労いとサポートしたい気持ちを、寄付やチップなど、お金という普遍的に共通する価値があるもので返す。
それでも、元々高騰し続ける家賃の問題があるニューヨークでは、存続が厳しいビジネスがあるのも事実だ。
ニューヨークタイムズのビデオに出てくるのは、30人の従業員の内90%を解雇しなくてはいけなかったレストラン経営者、家族を養うためには空っぽになった街でも営業を続けたいと語るフードカートのオーナー、失業が相次ぐ飲食業界や劇場美術業界の人々を新しく受け入れ始めた食料補助福祉の現場で働くスタッフ、副業しながら自分の芸術を追求してきたアーティスト・・・。
ニューヨークの誇りは、壊れ始めている。
このビデオは、こう締めくくる。
この困難はみんなが協力し合わなければ乗り越えられない。
もし周りを思いやらなかったり自分のことばかりを優先し続けたら、むだに苦しみを生むだけ。
THE LITTLE WHIM 意訳
虚しい。苦しい。悲しい。でも、だからこそ、協力し合って乗り越えようとする。虚しささえ、どこか誇り高いように感じる。
虚しさには、もう一つある。それは東アジア人が、アメリカ及びニューヨークでも受けているという嫌がらせだ。私は、ニューヨークに安心し切っていた。自分が東アジア人であることで、ニューヨークの街中などで理不尽な嫌がらせを受けたことは今まで一度もない。日本人であることを意識するとしたら、人との繋がりや関係性の上でモデルマイノリティとして感じる、少し類いが違うものだけだ。
幸い私は今のところ何も起きていないが、被害を受けた日本人や東アジア人がいると聞くと、残念で仕方ない。私が知っているニューヨークじゃないような・・何かがおかしい。
ここ最近は、非常に平和な地域に住んでいるのにも関わらず、辛うじて許されている近所での食品の買い出しも夫と行くようにしている。(程度にもよるが)こわい目に遭うのがこわいのではない。こわい目に遭って凹むのが、ひいてはニューヨークがこわくなってしまうのが、こわいのだ。普段は白人とアジア人のカップル、とくくられることがあると睨み返していたけれど、今は、白人の夫と一緒なら危険性は低いかな、と自ら安心を得ようとしている。そんなの正しくないんだけど、理不尽な差別感情には、理不尽な正当防衛で返す感じだ。COVID-19が生んだ不安が、人々に余計な感情や排他的な感覚をもたらしているのが、なんか虚しい。
向ける矛先のない小さな悲鳴
ニューヨーカーであると同時に、日本国民でもある私。ニューヨーカーの多くがそうであるように、私には母国があるのだ。一時帰国も帰ると言い、アメリカに戻ってくることも帰ると言う、ホームが2つある状態。
外国に住み始め、外野から日本を見るという視点を得ると、日本の問題に対して日本にいた頃とは違った感覚を持つようになるものである。その新しい観点から日本を観察し、自分が育った国で文化や感覚がわかるからこそ、そして何より自分にとって大事な国だからこそ、気になって考えてしまって、おまけにお節介にも意見したくなる。
しかし、2013年に引っ越してきてから年に1度は一時帰国をしてきたが、365日の内15日程度しか過ごさない母国は、悲しいことにどんどん遠くなっていくのが現実だ。年間の5%に満たない時間しか過ごさない国のことを、もはや私は本当にわかっているのだろうか?究極的に言えば、住んでなくて、働いていなくて、ほとんど納税していなくて、社会保障制度を利用していなくて、医療を受けていなくて、何がわかるというのだろうか?投票権だけ残された、不思議な存在な気がしてくる。私にとって母国は、大事な家族・友人・思い出を残してきた異国なのかもしれない、という感覚に陥る。
いまだに慣れなくて全く効率的に活用できていないけれど、THE LITTLE WHIM の名義で Twitter を持っている。日本では Twitter 利用者は依然多いと聞いたのもあり、遠い外国に住む日本国民である私にとって、Twitter は日本のリアルな窓口の一つのように感じる。実際に有益な情報やインスピレーションは溢れているが、攻撃的で乱暴な140文字を目にすることもある。
特に海外在住の日本人が日本の話題に批判的な目線で言及すると、
- 海外かぶれ
- 何もわかっていないのに口出しするな
- もう日本に帰ってくるな
といった内容が返されるのを目にする。Whoops! と思いつつも、自分に置き換えて想定すると、それらはあながち間違ってはいないかもしれない、と切なくなる。7年の内に私の日本人の肌はかぶれ切っているだろうし、わかっていない部分があり偏った目線になっているだろうし、とりあえず日本に本帰国する予定はない。「私にも言う権利があります。海外在住日本人としての発言権ください!」という積極性は、年月を経て自信と確信をなくすとともに、どんどん薄れていく。
だがしかし。今回ばかりは、どうもモヤモヤの次元が違う。このパンデミックの始まりをアメリカより先に経験した日本。各国によって状況は異なるので対処法が変わってくるのは当然だと理解するが、母国の火事が今自分のいる場所に広がってきてみて、母国がとっている対策や置かれている状況と、私が目の前にし体験していることにあまりに大きな差があって、クラクラする。命 vs そのほかの全て、という究極の選択が迫られている中、そのほかの全ての方に足をとられ過ぎていて、大事なものへのケアが手遅れになりそうなのがこわい。
今まで、日本の、特に国内の問題を見ても、問題意識は持ち続けたいと思いながらもどこか抑えられていた自分の声が、今回はどうも出てきたいとうずいている。それが苦しい。
専門家でも知識人でもないのでややこしいことはわからないけれど、深刻化する状況を透明性をもって伝え、徹底した外出規制を強化し、協力を呼びかける状態が続くニューヨークから見ると、日本の状況はどうもユルイ。日本のニュースを見てもユルイし、海外メディアの情報から見てもユルイし、日本在住の友人のインスタを通して見てもユルイ。「やばいね。ニューヨーク、大丈夫?」と連絡をもらったりもしたが、私の心の中はこうつぶやく、(日本、大丈夫?)
同時に、なんと私はニューヨークの友人や知り合いにも「日本、大丈夫?」と聞かれる。私は2つのホームから大丈夫?を受けるのだ。大丈夫なのか!?具体的な未来は今はまだわからないけれど、実際に身を置き実態が見えているニューヨークは、やばいけど、やばいからこそどうにかしようとしているので、いつか大丈夫になると信じることができる。じゃあ、日本は?
つい先日、日本にいる大事な親友2人に、海外在住日本人の発言権を行使してしまった。7年も海外にいながら、不用意な状態でやらかしてしまった。抑えられなかったのだ。少し感情的で、攻撃性のある言い方もしてしまったと思い後悔している。
「心配だから」そんな言葉を織り交ぜても、多分結局は私の吐き出したいものを出したに過ぎなかった気がする。彼女たちには彼女たちのストレスがあるはずで、それを聞き入れていなかった。
長く海外にいることでまるで異国のように感じる母国に向けて、発したくなる小さな悲鳴。ちっぽけな個人である私は、燃費の悪いエネルギーを消費しないように、誰かを傷つけないように、向ける矛先のない小さな悲鳴は、独り言としてつぶやく日々が続いている。
きっとどこにいたとしても至難には変わりないCOVID-19問題。私にとっては、異国で体験する初めてのパンデミック。
急激なスピードで感染が拡大し、現在非常に深刻な状態を迎えているイタリア人が、他の国へのメッセージとして「10日前の自分に伝えたいこと」をまとめたビデオが3月15日に発信された。この中の一言を、私も10日前の自分に伝えたい。
あなたは美しさと醜さ、どちらも同時に目にするようになる
THE LITTLE WHIM 意訳
私は今、自分の目の前にも、自分の中にも、美しさと醜さが同時に存在していると感じる。
そして未来の自分にも、何か伝えたい。何週間、何ヶ月・・・どれだけ掛かるかはわからないけれど、いつかすっかり全てが落ち着いた時にこの投稿を読んだらどう思うのかな。結構やばかったねぇって、すっきりした顔で言ってるといいな。