サステナビリティは特権?

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最初に結論を言うと、今日のテーマは答えが出ない。タイトルにあるはてなマークは、はてなマークのまま終わると思う。この記事を読んでもしもっと新しい見方や考え方をくださる方がいたら、ぜひおしえてください。

サステナビリティは特権なのか?

私自身がサステナビリティとそこに関連する項目であるヴィーガニズムをライフスタイルのコアとしている中で、その実践を可能にしている要素はいくつかある。

まずは自分の意志。これはきっとサステナビリティを意識する上で多くの人に共通している。

しかしそれ以外の要素は、各個人の環境や状況によって異なる。思いつく主要なものは

  1. 経済状況
  2. 住んでいる場所
  3. 身体的・精神的健康

これらは自分の意志と同様に重要。しかしながらこういった項目が恵まれている、問題がない、そういった人たちこそサステナビリティを意識することができるのではないか。つまりはサステナビリティは、こういった「特権」がある人々のものではないか。今日のテーマはここにある。

サステナビリティのベースの一つには、環境問題がある。今年の夏に突如出回ったアマゾンの森林が燃えている様子や、海岸に打ち上げられた魚の体から大量に出てきたプラスチックゴミの写真は、私を含め多くの人に衝撃を与えた。気候危機を訴えるグレタ・トゥーンベリさんの勇気ある姿にも注目が集まった。

「何かがおかしい」「変えなくてはいけない」と意識した人も多いはずだ。私たちが住む地球が壊れていっているのを、見て見ぬふりはできない、と危機感が広まった。

しかし、では一体、誰が何をする?みんなの地球とは言え、私もあなたも、地球のみんなに何ができる?そこには、グローバルなスケールでも各個人のレベルでも、それぞれの生活や状態には格差があるからこそ、考え方・捉え方・取り組み方は変わってくる事実も認めなくてはいけない

1. 経済状況

サステナブルなライフスタイルを送るには、今までと変えなくてはいけないことがたくさん出てくる。私は日常生活レベルでできることにフォーカスして取り組んできて、この1年で色んなことが変わった。細かいことばかりだけれど、このサイトでもアイデアを紹介してきている。

「誰にでもできる」「すぐに実践できる」「簡単でお金も掛からない」などといったキーワードを、他のメディア同様、私も使ってきた。

TLW に定期的に来てくれている読者は私に近い人が多いのは事実だと感じるし、実際に難しいことやすごく高額な費用が掛かることは私自身実践していないので、嘘をついているとは思わない。しかし世界規模で考えた時に、本当に「誰にでも」「すぐに」「簡単でお金も掛からず」できることなのか

みんなで共有する地球を守るためとはいえ、そもそも壊してきた主導者は経済力のある先進国であり、そのビジネスであり、それを動かす根本となる資本主義だ。むしろ壊された環境の被害をより多く受けているのは、比較的経済力のない途上国や、先進国の中では貧困や低所得に当たる層だ。

参考記事: The facts: How climate change affects people living in poverty (Mercy Corps)

そこには割合的に黒人や有色人種が多く、彼らは気候危機に大きく声を挙げている。

young poc
“Meet the Young Activists of Color Who are Leading the Charge Against Climate Disaster” (vox)

そんな不平等な状態で、サステナビリティは一人ひとりが取り組まなくてはいけない、みなが変わらなくてはいけない、と謳うのは不公平なのかもしれない。

参考記事:
Meet the Young Activists of Color Who are Leading the Charge Against Climate Disaster (Vox)
U.S. Income Inequality Worsens, Widening To A New Gap (NPR)

人権問題もサステナビリティにおいては基幹となる。ファッション業界を例に挙げる。スウェットショップと呼ばれる、第三世界での劣悪な環境・不当な賃金体系のもと成り立っている製造は、ファストファッションのビジネスモデルに組み込まれている。ドキュメンタリー映画「ザ・トゥルー・コスト」がとらえた2013年のバングラデシュ ラナプラザ崩壊事件は、それを世に知らしめるきっかけとなった。世の中は、ラナプラザのような工場を使っていた企業の改革に注目するようになった。

これらのビジネスは環境破壊においても悪名高い場合が多い。パーソンズのサステナブルファッションの授業で観た “River Blue” では、安価なアパレル工場の近くを流れる川はその時の流行色を反映していると話していた。胸が痛んだ。

倫理的に明らかに不当な人権侵害のある状況にあった途上国の労働者にとって、労働環境の改善・賃金の見直しは望ましいはずだ。しかし例えいい方向に向かっているとしても、それがあくまで先進国主導のビジネス優先での進められ方では意味がない。低所得層の彼らにとっては変化の許容が限られている可能性がある。彼らの多くは、今日・今週・今月を生きることが重要であって、変わることによって先が読みにくくなりそれを生活スタイルに当てはめるのが難しい懸念もある。

更には、ゆっくりではあるが消費者のファストファッション離れも進んでいる。Forever 21 の破産申請や、Topshop の市場縮小など、ファストファッション業界のあり方に変化をもたらし始めている。こういった動きは、途上国にも影響し、生活・雇用・収入の安定を乱している

先進国のビジネスが作り出した身勝手なシステムに巻き込んだ上に、次はサステナビリティの名のもとまた新たに生活に混乱を与えているのは、例え改善とはいえ、「特権」のある層が一方的に操っている構造であると思えてくる。

2. 住んでいる場所

私は東京で育ち、ニューヨークでの生活は7年目に入った。どちらも、様々なものが集まっている便利で大規模な都市だ。

例えば、都市部は交通機関が整っていて、車を所有したり日常的に運転する必要がない。しかし他の都市や、特に地方を見たらその勝手は違ってくる。私のように公共交通にアクセスのある人が、「サステナビリティを考えたら車はやめるべき」と唱えても、都心に住むならではの考えを当てはめるのが難しいケースは多いにある

ヴィーガニズムにおいても地域差はある。畜産が環境破壊の大きな原因になっていることや、(特に)工場畜産の残酷な営みについては、多くの人が問題視し始めている。しかし、ヴィーガニズムへの切り替えのやりやすさは、住む場所によって差があるのは事実だ。これは個人の意志の強さとは直接は関係ない、変えていく上での物理的なアイテムが揃っているかの違いだ。

私の住むニューヨークには100%ヴィーガンだったりヴィーガン対応をしてくれるレストランやカフェがたくさんある。プラントベースのミルクやヨーグルト、ビヨンドミートのような肉の代替品を扱うお店は多く手に入りやすいし、豆腐を売っているアジア系のスーパーマーケットも多い。

しかしアメリカの地方都市を見たら状況は違ってくる。野菜が少なく肉に焦点を当てる伝統的なアメリカンな食事が主流な地域は多い。ハンバーガー、ステーキ、BBQ、チキンウィング・・・そういったものが日常的な食生活である地域では、ヴィーガニズムはまだまだ浸透していないしスピードも遅いだろう。車で出かけられる一番近くのスーパーマーケットは地域で唯一のウォルマート(安値が売りの大型スーパーマーケット)しかなく、そこにヴィーガンのアイテムは限られている、という状況も珍しくないはずだ。

最近はベジタリアン・ヴィーガンメニューを揃えるファストフード・チェーンレストランが増えており、外食業におけるヴィーガニズムへのアクセスは広がっている。しかしそういったお店は必ずしも健康的ではないし、ビジネスモデル自体はサステナブルではない場合が多いのも忘れていはいけない。

更にアメリカの場合は、前述の項目である経済的格差も地域によっては影響してくる。ヴィーガンの食事を家で作るのは必ずしも高くないが、ものによっては高額になる場合もあり手に届かない低所得の家庭もあるだろう。事実、アメリカには “food deserts”(食の砂漠)の問題がある。富裕層と大型ビジネスが一定の地域を占めたことにより個人経営の食料品店は存続が難しくなり、その結果食品の流通が十分ではない地域が多数生まれている。

参考記事: “Food Deserts” (Food Empowerment Project)

オーバーラップする経済格差・地域格差に起因するこの問題は、「ヴィーガンとか言ってられないよ」「サステナビリティどころじゃないよ」と感じてしまう層と「特権」のある層との差を感じさせる。

都心と地方に、ヴィーガニズムにおける大きな差があるのは日本も同じだ。ニューヨークほどではないとはいえ、東京でもヴィーガンの食事を楽しめる場所は十分にあるし増えていると感じる。しかし今年の夏、青森を訪ねた時は話が違った。どうしてもヴィーガンメニューのあるお店が見つからず、コンビニで食事を済ませた夜もあったくらいだ。

例え同じ国の中であってもサステナビリティが身近かどうかには差があり、それによって浸透のスピードも変わってくる。都心に住む場合はその「特権」があるのかもしれない、ということを忘れないでおきたい。

3. 身体的・精神的健康

私はサステナビリティは地球のため・誰かのため → それが最終的には自分のためにもなる、と考えている。

もし私が、身体的・精神的な健康に気になる点があったら、自分以外のことのためよりまずは自分の健康を取り戻し維持することに集中したいんじゃないかな、と思う。健康であることが「特権」というのはあまりに語弊があるけれど、健康であるからこそ自発的に動きやすいこと、というのはあるはずだ。

個人の抱えるパーソナルな問題と地球の問題を天秤にかけるのは難しい。

自分の健康に問題を抱える人には、まずは自分を大切にして欲しいし、一つ一つ順番に向き合っていくべきだと思う。その分、身体的・精神的に健康な人には余裕があるとしたら、それを生かし、サステナビリティにおいてできることを率先して進めていくべきだとも思う。


サステナビリティは特権なのか?やはりイエスかノーかの答えは出ない。そもそも私が今回挙げた主要な「特権」も、実は特権ではないと思う意見もあるだろう。

ただ唯一確実に言えるのは、「特権」がある(ように見える)人もない(ように見える)人も、みながある一定のスタンダードを満たすサステナブルな生活を送るための体制が必要だということだ。企業の取り組みや政治が仕組みの部分から早急に変化をもたらしてくれないと、どんな環境・状況にある人がどう向き合っても、環境破壊には追いつかない。

サステナビリティは特権?この問いの答えがイエスだとしたら、「特権」のあり方を変えられるかどうかは、各企業や各政府の今後の動きにかかっているし、生活者も投票で政治に積極的に参加し、消費やコミュニケーションを通してビジネスにはたらきかけるべきだろう。

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