コスメから考える、人種のこと — インクルーシブで持続可能な “Beauty for All” ってなんだろう

おそらくアメリカ社会の奥深くではずっと存在していながらも、語られる機会が決して多くはない議題 — 黒人とアジア系の間にある不調和。どちらもマイノリティであるにも関わらず、今に至るまでの経緯や現在置かれている状況は大きく異なる部分も多く、どこか複雑だ。

私はアジア系としてニューヨークで暮らし8年になる。そして私には、黒人の友人や仕事で出会った仲間がいる。しかし、きっと言うまでもないだろうが、そういった個人的な輪で感じることだけで、社会に存在する複数の抑圧がどう関係し合っているか、考えを深めるのはむずかしい。違和感を持つことはあっても、あまりしっかり考えてこなかった気がする。

それがここ1年ほど、特に自身も人種的に関わりのある事柄として、どこかにしまっていた違和感は、「じっくり向き合うべき違和感」に成長している

昨年、衝撃的な事件の映像がソーシャルメディアで拡散され、続いてきた Black Lives Matter が過去最高に大きなムーブメントとして活性化し、黒人が抑圧されている構造についてたくさんの省みが生まれた。同時に、世界中に大混乱を巻き起こしたウイルスが中国発祥であるという報告や、世界的影響力のある人物による無責任な発言もあったせいか、アジア系へのヘイトクライムの急激な増加が報告されている。

この2つの異なる抑圧は、2020年に可視化され大きく語られるきっかけが揃ったとはいえ、その奥にはそれぞれ複雑な背景がある構造的・システム的要因、今に至る歴史、社会的なステレオタイプなどは、専門的に長く研究してきている方々や、当事者たちの正義のために活動している方たちがたくさんおり、私は学びを得ながら考察を進めることに徹している(参考にしやすいソースは、最後に紹介します)。

そんななか、、、私はコスメが大好きなのだけれど、ここのところ化粧品を通して、黒人とアジア系の間にある、時にぴりぴりとする緊張について考える機会に出くわした。自分が好きだからゆえ考えが広がる場所で、どこか後回しにしてしまいがちだったトピックについて、思いがぐるぐるめぐった。今日は、それについてまとめてみようと思う(まとまるかな…)。

これは、ビューティのレンズを通した、レイス(人種)やカラー(肌の色)の話。

ブラックオウンドのインクルーシブなクリーンビューティブランドが誕生したんだって!

ある日、インスタグラムを見ていたら、新しいメイクアップブランド、LYS Beauty が目に入ってきた。気になったのでウェブサイトを開いてみたら、たくさんのチェックボックスをマークする要素が揃っている。

  1. 創業者兼CEOが黒人のブランド
  2. セフォラで購入可能であるアクセスのよさ
  3. セフォラ取り扱いブランドのなかでもっとも低価格の手頃さ
  4. ヴィーガンかつクルエルティフリー
  5. 主要な有害成分を省いたクリーンビューティ

1 – 3は、インクルーシビティを考えた際とても重要。黒人は、好きなブランドに自分の肌の色が存在しない・見つけづらい状況をずっとずっと経験してきている。それはクリーンビューティの世界ではなおさら顕著だと言われている。自分に合う色を探すのが困難な黒人の気持ちがわかるオウナーが考え作り出した色展開が、LYS Beauty では見られる。

参考記事:
4 Times Beauty Brands Were Dragged for Having a ‘Limited’ Range of Foundation” (Insider)
How Clean Beauty Retailers Are Trying To Fix Their Diversity Problems” (Beauty Independent)

くわえて、セフォラはアメリカ国内では500以上の店舗を持ち、オンラインプラットフォームも大きいので、多くの人びとが見つけやすくアクセスしやすい。セフォラには高価なブランドも多いけれど、LYS Beauty のファンデーションは$22、チークブラッシュが$16と、ドラッグストアほどではないとはいえ手が届きやすい価格帯になっている。

4と5は、各個人の倫理や趣向、体質・肌質などによって左右される要素だけれど、こういった基準を設け明確にしていることは、より多くの人びとに選択のしやすさを生む。

パッケージにおいては、ポストコンシューマー素材を30%再利用するなどエコフレンドリーな姿勢を見せている(今後の発展に期待)。

創業者兼CEOである Tisha Thompson は、メイクアップアーティストであり、そして商品開発やマーケティングなど、15年間ビューティ業界で働いてきた経験があるそうだ。それぞれの人が持つ、完ぺきではないところを含めた美しさを引き出すこと、信頼して使えるクリーンなフォーミュラを届けること、そしてダークな肌の色を持つ人も安心できるダイバーシティを作り出すことを重視している。

パッケージには三角形のフォルムが随所に見られるが、それは数学において Delta が象徴する「変化」の意味を込めているそうだ。

なんだなんだ・・・いろいろ素敵じゃないか!きっとこういったアプローチを待っていた方たちはたくさんいるはず・・・これは祝福だ!胸がアツくなった。

マイノリティが描くインクルーシビティには特定の視点があることに気づく

めちゃくちゃ気持ちが躍った私。しかし、今新しくコスメを買い足す必要はない。あぁ、応援したいのになぁ… もし自分が買うとしたら何が欲しいかなぁ… と、商品をじっくり見てみることにした。


主力商品であるファンデーションは、35色展開。

lys shades
image via Lys Beauty

新しいブランドがローンチから35色も展開するのは素晴らしいことだし、肌のシェード(明るさ・暗さのこと)とアンダートーン(日本でブルベ・イエベなどと言われるトーンのこと)を考慮した展開は、どちらにおいても偏ることなくまんべんない広がりがある。

lys shades2

via LYS Beauty

しかも、サイトの色選択の項目は、通常は 明るい→暗い が多いなか、LYS Beauty では 暗い→明るい で表示されていることに気づいた。ブラックオウンドブランドが掲げる「変化」が、ここでも表れているのかもしれない。

ここ数年、特にアメリカでは、ファンデーションの色展開がどれだけインクルーシブであるかどうかは話題になることが多い。

21世紀の今、真にインクルーシブなビューティを証明したブランドとして、ミュージシャンの Rihanna が展開する Fenty Beauty の名前は必ずといって言いほど挙がる。2017年に誕生した同ブランドは、”Beauty for All”(全ての人のためのビューティ)というタグラインを持ち、それを実行した。

Fenty Beauty のファンデーション発売時のベースメイク展開は40色。しかもただ数が多いだけでなく、「すごく明るい」と「すごく暗い」をぐっと引き伸ばし、アンダートーンを細分化したバリエーションに富み、多くの人びとが自分に合う色を見つけやすくした。現在は50色にまで拡大し、ほかのブランドに与えたインパクトも大きかったことから、”Fenty Effect”(フェンティ効果)という言葉まで生み出したほどだ。

参考記事: “How Fenty Beauty Changed The State Of Play In The Industry” (Vogue UK)

話を LYS Beauty に戻す。このブランドのファンデーションも Fenty Beauty に近い均一の幅広さがある。くわえて、もともとスーパースターであった Rihanna が持つような資金力や後ろ盾はないうえでのことなので、なおさら圧巻だ。あらためて思う、これは祝福だ!

ところが、、、だ。

私はアメリカでファンデーションを探すほとんどの場合、2番目に明るいシェード群に値する範囲から、自分の色が見つかる。そのシェード目安の写真には、(東)アジア系(と、顔立ちから判断される)モデルを目にすることが多い。しかし、LYS Beauty の私の肌に近いシェード目安写真に、私(アジア系)はいなかった。

35色全部見てみたら、明るめのシェードのモデルはすべて白人で、「タン」(日差しを浴びた肌の色を指し、ブラウン寄りのシェード)の目安に一人、アジア系(と、顔立ちから判断される)モデルが見つかった。35人中、私が確認できるアジア系はその一人だけで、メインビジュアルにはアジア系が含まれていなかった。

(すこしだけ、胸がちくりと痛んだ。)

それでも、LYS Beauty の誕生を見て、これは祝福だ!と思う私の気持ちに変わりはない

だって私は今まで、自分のシェードが見つからないんですけど…… という状況に陥ったことはない。インクルーシビティを謳うブランドの今回のリプレゼンテーションにおいて、アジア系が35人中1人だけとはいえ、私のシェード自体は存在している。シェードそのものが限られる黒人がビューティ界で経験していることとは、次元が圧倒的に違うのだ。

(すこしだけ、胸がちくりと痛むんだ。)

とはいえ、ね。すこしだけとはいえ、ね。ちくりとした胸の痛みは残ってはいる。その痛みの奥にあるものは、結構残酷な気づきだ。

私は黒人が作ったこのブランドを祝福しているけれど、アジア系である私はここでは祝福されていないのかもしれない。

… あまりに苦しく悲しくなる考えなので、抑え込もうとする。

どうしてちくりとするのかな… どうして抑え込もうとするのかな……

黒人が経験し続けている差別には、長年にわたる構造的・システム的な抑圧やレイシズムが根付いている。黒人の抑圧を話す際に、社会に染み付いている白人至上主義や司法や警察制度について多く語られていることからも、それは明らかだ。

比べて、アジア系が(アメリカ社会において)受けている差別やヘイトに関しては、社会は鈍感で、後回しにしがちである。アジア系アメリカ人や在米アジア系の差別にも、実際には深いルーツはあるにもかかわらず、客観的に「度合い」を比較し、「優先度」を判断する傾向は、あると思う。

その構造ができていること自体が、そもそも複雑だ。(特に肌の色が明るい)アジア系は白人に近いという概念や、アジア系は一括りにされ、中央アジア・東アジア・南アジア・東南アジア・西アジアという違いの理解が浅いこと、そして白人至上主義が作り出した「モデルマイノリティの神話」などが、現在の社会には存在している。

これは非アジア系の人びとに限って持つバイアスというわけではなく、アジア系の人びとも自覚の上で許容・擁護・助長していることもある。少なくとも、私は経験上そう振る舞ったことがあるのは記憶に残っている。

ファンデーションの話で考えると、肌の色に関わることゆえ、このバイアスが可視化されるような気がする。特に東アジア系には肌の色が明るく、白人向けに作られた製品で間に合う人は多い。つまり、白人中心のビューティの概念であっても、困っていない。自分のシェードがあるだけでもありがたいことなのだし、むしろそう思って声は出さず、事なかれ主義的対応を求められているかのようでもある。

祝福されていないんじゃない、祝福してこなかったんだ

そんなことをもんもんと考えていたら、ハっと気づいたことがある… ちょっと待てよ。そういえば、アジア系のブランドは、黒人の肌の色を祝福してきていないではないか……。

たとえば、世界的に知られ北米でも販売されている Shu Uemura。圧倒的に明るいシェードに偏っている…。

Shu Uemura Unlimited Foundation Lasting Fluid Swatches
image via Shu Uemura Canada

Shiseido はどうだろう。

shiseido
image via Shiseido USA

最近発売された新しいファンデーション(上の画像)では30色まで展開を広げ、インクルーシブになってきているようだ。しかしそれ以前に発売されていた商品(下の画像)を見ると、十数色の展開で多様性に富んでいるとはとても言えなかったのが垣間見える。

shiseido2
image via Shiseido USA

欧米市場では Decorte と呼ばれるコスメデコルテのファンデーションのシェード表は以下。全体的にクリーミーな色合いで、偏りは一目瞭然だ。

Soft Creme Foundation Shade Guide
image via Decorte

(Shu Uemura、Shiseido、そして Decorte は、どれもクルエルティフリーではありません。比較の例として、あえて選びました。)

似たような傾向は、今アメリカで K-Beauty として人気の韓国コスメブランドでも見られる。

LYS Beauty を見ながら私が思ったことを思い出してみる……

私は黒人が作ったこのブランドを祝福しているけれど、アジア系である私はここでは祝福されていないのかもしれない。

この考えは、どこか身勝手だ…。語弊があるかもしれないが、「お互い様」なのだ。私が個人として、肌の色の多様性を受け入れている!とどれだけ思っていたとしても、私が育った国で生まれたブランドは、私が今暮らしている国において、多様性を歓迎しているとはとても言えない。そういった社会を生きてきたのだ。これは、さらにちくりと私の胸を刺す。

それぞれのマイノリティの抑圧

きっかけは忘れたけれど、友人 all_animals_japan さんとアジア系アメリカ人や在米アジア系の人びとの話をしていた時に、おしえてもらった YouTube チャンネルがある。Jubilee というもので、さまざまな社会的トピックにおいて代表者が数名登場して議論する。”Do All Asian American Women Think the Same?“(すべてのアジア系アメリカ人は同じ考え?)というビデオをシェアしてくれた。

all_animals_japan さんは、カナダの大学院で批判的社会学を学びながら、反抑圧的なヴィーガニズムとインターセクショナルな環境正義の理解を深めるために活動しています。彼女の深い考察は、私にとってとても貴重!)

アジア系アメリカ人が持たれがちなステレオタイプや、出身のカルチャーにおいて求められている像などについて、さまざまなバックグラウンドを持つアジア系女性たちが意見を交換し合う。

ほかにも、”Are We Allies? Black Americans vs. Asian Americans“(黒人アメリカ人とアジア系アメリカ人は、アライか?)というテーマのビデオもある。

黒人とアジア系の直接の対話はとても興味深かった。それぞれには、アメリカ社会における経験やムーブメントを通して、言い分があるのが伝わってくる。すこしぴりぴりする場面も出てくる。

歴史や社会や文化、さまざまな側面を踏まえ、一方が他方の抑圧を受け止めているか、一方が他方の抑圧を受け止めていることを感じられるかどうか。社会には白人至上主義が存在していることが前提なうえで、双方の理解や協力関係があるか、つまりはアライであるかどうか、正面から意見をぶつけ合う。

彼らの議論を聞きながら、私のなかで、ファンデーションのシェード展開は、アライかどうか考えることの一例として発展した。大げさだと思う方もいるとは思うが、こういったさまざまなところに潜んでいるバイアスと向き合うことの重要性は、軽んじてはいけないと思う。

じゃあ、真にインクルーシブで、そして持続可能な “Beauty for All” って、なんだろう?

LYS Beauty のシェード展開について話す際、私は「マイノリティが描くインクルーシビティには特定の視点がある」と書いた。… きっと、それでいいのだ — そこに、アライとして寄り添う気持ちさえ生まれれば

私と似たアジア系モデルが LYS Beauty のビジュアルにおいて限られていることに気づいたあとでも、LYS Beauty に対して、これは祝福だ!と思った私の気持ちは変わらなかった。黒人オウナーの作ったブランドが、彼女と同じマイノリティの顧客に大絶賛を受けていることが、美しい。そしてそれは、LYS Beauty が受けるべき祝福であり、そのことをほかの人種やほかのマイノリティも祝福できる関係性が、きっとビューティの世界で実現されるべきアライシップとして健全なのでは

アジア発ブランドの、北米市場における偏った色展開についてはどうだろう。

老舗で大手のブランドの場合は、正直もやもやしないわけではない。しかし、いくら日本やアジア市場では大きなブランドでも、北米市場ではマイノリティであると考えると、努力評価といったところだろうか。黒人のブランドでは許されることが、アジア系では許されないようでは、両人種の差別において「度合い」や「優先度」が異なってくる不調和がある構造と、同じことにもなってしまう。

持続可能性を考えた際はどうだろう。例として触れた Fenty Beauty は、Rihanna が成功したスーパースターであるだけでなく、LVMH グループに属するブランドであることも躍進の鍵の一つである。LVMH が所有するセフォラで販売し、同じく LVMH が所有する Kendo が商品開発を担っている。大型プロ集団だからこそ、成せる技だ。

Fenty Effect が言われるようになったとはいえ、実際にすべてのブランドが多様性に対応し展開を最大限にすることはおそらく不可能だ。むしろ、体裁を気にするばかり、すべてのブランドが多様性に対応し展開を最大限にすることは、ビューティ業界のヘルシーでサステナブルなあり方ではないとも思う。

肌の色を中心に話してきたけれど、そのほかにも、ジェンダー、年齢やスキンポジティビティなど、ビューティの世界には個人に起因する要素がたくさんある。

ダイバーシティやインクルーシビティが叫ばれる今、「なにかに特化すること」 イコール 「多様性を無視すること」 にもなりかねるが、複雑な背景を汲み取らずにそう安直に判断してしまうのは問題なような気がしてくる

餅は餅屋といった感覚で、必要なところに必要なものをしっかり届けられる存在がそれぞれ、得意な分野にフォーカスできたら、もっとも効率的で無駄がない。必要なのはむしろ、その形が不自然ではない世界なのではないか

黒人のシェードに強いブランド。アジア系のシェードに強いブランド。そのほかにも白人のシェードやブラウン系のシェードなど、それぞれが特化していき、それぞれが他のマイノリティブランドを支え合い、それらを取り扱うリテール業も積極的に調和をとる役割を進めることで、多様性が実現する。一方で、全部をカバーすることに挑戦し続けるブランドはきっとこれからも存在し続ける。そうやって、限りなくインクルーシブで、かつサステナブルなビューティの世界は成立するような気がしてくるのだ。

ビューティの世界でのことを、私たちが今生きている現実世界での事象に置き換えたことで、見えてきたもの。体裁を整えるためではなく、抑圧と真に向き合い、真に手を取り合い、真に明るい未来を作っていくべく、私たちは今社会で取り組んでいる。そのさまざまな作業を、ビューティの世界にも投影できるのではないかな

最後に

冒頭で述べた通り、この記事は、ビューティのレンズを通した、レイス(人種)とカラー(肌の色)の話だ。黒人とアジア系のアメリカ社会における抑圧の背景や歴史について、私はできるだけ当事者から学びを得ることに努めている。私自身は在米アジア系であるけれど、アジア系アメリカ人ではないので、その違いを認識したうえで理解を深める必要もある。

最後に、今回議論した黒人とアジア系の抑圧(抑圧はこの二人種に限ったことではないことは、もちろん理解しています)について私が考えを深める目的で参考にしているものの一部を掲載して、終わりにしようと思う。興味があったら、ご利用ください。

“1916” – New York Times による、黒人奴隷制度をもう一度紐解くポッドキャスト

史実の新しい解釈が多かったことから議論も発生したので、そのあたりはご自身の判断で。

“Campu” – 日系アメリカ人の歴史継承と正義を提唱する団体 Densho によるポッドキャスト

1940年代に12万人以上に及ぶ日系アメリカ人及び日本人移民が収容された史実を中心に、当事者とその子孫の声を届ける。アメリカ西海岸の日系(及びアジア系)コミュニティが受けた抑圧は、人びと・土地・労働を通して浮き彫りになる。

Issei の強い抵抗と、Nisei の「仕方がない」という沈黙の話を聴き、なぜ現在のアメリカでは、ほかのアジア系に比べて日系のコミュニティが小さく弱いのかが見えてくる。

弁護士であり、インターセクショナリティの提唱者である Kimberlé Williams Crenshaw の動画(日本語字幕あり)

人種と性別・ジェンダーの交差を通して、社会に存在するいくつもの抑圧の層とその枠組みについて説く。

“13th” – ネットフリックス制作ドキュメンタリー(YouTubeでは日本語字幕あり)

アメリカの憲法及びその他の司法と、刑務所制度が、いかに黒人への抑圧を継続しているかを説く。

“Explained | Racial Wealth Gap” – Vox とネットフリックス制作情報番組(YouTubeでは日本語字幕あり)

黒人と白人(及びその他)の人種間での貧富の差が広がり続ける背景を解く。フードジャスティス(食の正義)に関わる政策に意欲的で、ヴィーガンであり黒人のニュージャージー州代表の上院議員、Cory Booker も登場する。

“Ugly History of American Incarceration Camps” – 先述の Densho による動画(日本語字幕あり)

1940年代に、収容所で若い時期を過ごした日系2世 Aki Kurose に関するアニメーション。彼女はのちに多文化主義の社会正義活動家・教育者となり、国連人権賞を授与された。

AAPI (Asian American and Pacific Islander) の正義を提唱する女性による団体 AAPI Women Lead のインスタグラム

アジア系アメリカ人でクィアの Michelle Kim のインスタグラム

日本にもルーツを持つミックス人種のアメリカ人女性 Emi Ito のインスタグラム

社会に存在する不均衡について発信し、BIPOC によるサステナブルなビジネスを支援する CoMods Are 2 East Asian WOC @byfrombipoc の創業者でもある

日系アメリカ人で、サステナビリティやメンタルヘルスについても発信するインフルエンサー Gabby Sage Masuda Ambata のインスタグラム

インターセクショナルな気候正義について発信する Intersectional Environmentalist のインスタグラム

こうやってまとめてみると、アジア系と言いつつも東アジア系・日系に大きく偏りがあることに気づいたので、もしほかのアジア系で役立つオススメがあったらおしえてください!

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