ハワイで過ごした時間 — 複雑な歴史と多様な文化の理解・尊重 その2: 日系の名前の空港と、白人至上主義

この記事は、シリーズ化することにした「ハワイで過ごした時間 — 複雑な歴史と多様な文化の理解・尊重」の第2弾。

以前書いたビショップ博物館編から、だいぶ時間が経ってしまったけれど……。

回ごとのトピックに特別関連性はないけれど、私がハワイのオアフ島を訪れ、見て、聞いて、時間を過ごしたのちに、心に残っていることを書く。ハワイ出身かつ在住の友人たちから聞いた話や、触れた文献や資料なども影響している。

今日は、日系やアジア系のコミュニティに属する一人として、思ったこと。その多くは、私をアメリカの白人至上主義にたどり着かせる。

空港の名前から知った、ダニエル・K・イノウエ氏

ホノルル行きの便を予約する際に気づいたことがある — へぇ、ホノルルの空港の名前って、「ダニエル・K・イノウエ国際空港」 (Daniel K. Inouye International Airport) なんだぁ。

Daniel K Inouye International Airport Tower only

image via Government of Hawaii

てっきり「ホノルル国際空港」かと思っていたので、すこし驚いた。どうやら2017年に改名したらしい。

参考資料: “Hawaiis Biggest Airport Officially Renamed Daniel K. Inouye International Airport” (State of Hawaii Department of Transportation)

かつてのアメリカ大統領の名を冠したニューヨークの空港 (JFK) から飛び立ち着陸するハワイの空港の、日系を予感させる名前に興味を持った。

danielinouye

image via Daniel K. Inouye Institute

ダニエル・K・イノウエ氏(以下、イノウエ氏)は、ハワイ生まれ日系二世の、アメリカの退役軍人・政治家だったそうだ。上院と下院どちらも経験し、ハワイの政治と日系アメリカ人の社会的理解にも大きく貢献したと言われており、アメリカ軍表彰で最高位である名誉勲章、そして没後にオバマ大統領(当時)から大統領自由勲章を受けている。

参考資料: “INOUYE, Daniel Ken” (History, Art & Archives | United States House of Representatives)

上記のアメリカ政府によるイノウエ氏の経歴を読み進め、彼の波乱の人生に心動かさせるとともに、どうしても胸に突っかかるものも現れ始めた。それを書くためにはまず、簡単にはなるが、彼が政治家になった経緯を記す。

第二次世界大戦が始まった頃若者だったイノウエ氏は、政治に関心はなく、医者を目指すハワイの若者であり、真珠湾攻撃での負傷者救済に協力した。その後18歳になり、アメリカ市民であるイノウエ氏は高まる圧力もあり米軍入隊申請をすることになるが、日本出身でハワイに移住した両親の子(つまりは敵国の血を引く二世)であることから、通常部隊に入ることはできない。

WaialuaKahuku

ノースショアで見た、大戦で命を落とした日系アメリカ軍人の名が刻まれた Waialua-Kahuku World War II Memorial

当時、入隊を決めた多くの日系アメリカ人青年に与えられた選択肢は限られており、その理由は非常に理不尽でもあった。イノウエ氏は、ほぼ日系アメリカ人のみによって構成された隔離米軍部隊である第442連隊戦闘団に加わることになる。歴史上「伝説の最強部隊」と呼ばれたフォースとして、アメリカやアジアの基地ではなく、どちらからも遠いヨーロッパの戦線に送られ、アメリカのために戦う。

参考資料:
不和」(日系アメリカ人 – Densho)
第442連隊戦闘団」(Nisei Veterans Legacy)
442nd Regimental Combat Team” (Densho)
ノー・ノー・ボーイ」(著: ジョン・オカダ  翻訳: 川井 龍介)

イタリアの戦場でイノウエ氏は、自らを犠牲にし右腕から下を失くす。果敢に戦った姿勢が評価され、いくつもの勲章を手にする。療養後も軍隊にしばらく残るが除隊し、大学・大学院進学を経て、政治の道を志す。1959年には連邦下院議員に当選し、ハワイ選出および日系として、アメリカ初の議員になる。その際の宣誓を、通常の右手ではなく、左手をあげて行なったそうだ。その場にいた者たちには、イノウエ氏が日系人であることから偏見もあったが、彼が右手を文字通りアメリカに捧げたことを目の当たりにし、その排他的感情は解き放たれた… という記録がある。

参考資料: “Congressional Record Volume 158 Number 163” (Government Publishing Office)

53年間議員を務め、多くの功績を残す。2012年に亡くなり、著名な歴代大統領や偉大と評価された数少ない議員と同等の式典が執り行われた。

「努力すれば認められる」の歪み

この話を聞く限りでは、イノウエ氏は、日系アメリカ人やアメリカ在住日本人にとって、数十年前の日系コミュニティが困難を抱えていた時代に道を切り拓いてくれたヒーローだ。彼のようにアメリカで信頼を積み重ね基盤を築いてくれた存在は、今の日系アメリカ人とアメリカ在住日本人に生きやすさをもたらした大きな一要因である。

…しかしそれと同時に、白人至上主義が根付くアメリカ社会で日系アメリカ人とアメリカ在住日本人が抱える重荷やプレッシャー、矛盾、ステレオタイプなどをあらためて痛感することにもなった。

イノウエ氏はそもそも、医者になりたかったのだ。執刀外科医として人の命を救いたかった人間だ。しかし苦境のなか、若かった氏は戦うことを選んだ — アメリカと日本が敵同士となる戦争が勃発し、日系アメリカ人二世としてアメリカへの忠誠を証明するために。

これを通してアメリカ在住日本人の私に残るのは、その後ハワイや日系アメリカ人コミュニティのためにも働いた彼の功績を、讃える感情だけではない。悔しいというか、悲しいというか、切ないというか・・・もどかしい気持ちになった。戦渦という非常事態にそこまでしないと、「イノウエは真にアメリカ人だ」と認めてもらえなかった当時を痛烈に想像させる。

アメリカで日本にルーツを持つ人々にまつわるモデルマイノリティ(の神話)について話す際、日系(アメリカ人)は「勤勉で努力家」「おとなしくて忠誠的」といった固定概念のような前提があることは欠かせないポイントだ。だからこそ、アメリカで日系アメリカ人やアメリカ在住日本人は「模範的な、いいマイノリティ」だと、ありがたくも、評価してもらえる(皮肉)。

勤勉で努力家でおとなしくて忠誠的… それって、繰り返しになるけれども、医者になって人の命を救いかった若者が、逆に人の命を奪う戦場に出て、親の母国と戦うことで自分が市民である国に貢献し、体の一部を失い、結果的に夢をあきらめてまでしないと得られない評価なのか… その信頼を得て、その後も努力を続けアメリカの日系ヒーローになったイノウエ氏のストーリーは、美談として片付けてしまうには、あまりにも過酷過ぎやしないか。戦中・戦後だったからしょうがない… でいいのだろうか。もし大多数の「普通の」アメリカ人だったら、ここまでのことをしなくてもよかったのではないか。そうでもしないといけなかったって、一体どういうことなのか。… 考えるべきだと思った。

「努力すれば認められる」って、圧倒的な誰か/なにかの史上主義に乗っとられている状況では、実はとても歪んでしまう場合もあるのだ。

今なお続く、あぶなっかしさ — アンドリュー・ヤン氏

この話を自分のなかでどう整理していいかぐるぐる思いを巡らせていると、思い出さずにいられないことがある。2020年大統領選の民主党候補選、そして2021年ューヨーク市長選にも出馬した、台湾系アメリカ人のアンドリュー・ヤン氏(以下、ヤン氏)という人物の存在と彼の姿勢だ。

ヤン氏は、台湾にルーツを持つアジア系マイノリティの代表として、そして弁護士かつアントレプレナーとしての側面もありミレニアル的視点(実際にはその枠には入らない年齢だが)も持ち合わせた候補者として、それなりに注目を集めた。市長選では2大有力候補の1人とも言われた時期があった。

2020年の4月、Covid-19によるパンデミックが発生し、ウィルスの起源からアメリカでアジア系の人々への暴力事件やヘイトが増大し始めた時、ワシントン・ポスト紙にヤン氏のオピニオン投稿が掲載された。

andrewyang twp

Opinion: Andrew Yang: We Asian Americans are not the virus, but we can be part of the cure” (The Washington Post)

我々アジア系アメリカ人はウイルスではない、[むしろ]救済の一部になれる」と題されたこちら。一見もっともなようだが、当時実際に彼の言葉を読んだ私は、それはとてもあぶなく感じたし、苦しかった。

We Asian Americans need to embrace and show our American-ness in ways we never have before. We need to step up, help our neighbors, donate gear, vote, wear red white and blue, volunteer, fund aid organizations, and do everything in our power to accelerate the end of this crisis. We should show without a shadow of a doubt that we are Americans who will do our part for our country in this time of need.

我々アジア系アメリカ人は、今までにない方法で、自分たちのアメリカ人らしさを受け入れ、見せ示す必要があります。この危機の終結を早めるためには、私たちは立ち上がり、隣人を助け、必要なものを寄付し、投票し、赤と白と青の服を身にまとい、ボランティア活動をし、支援団体に資金提供し、できるすべての力を尽くす必要があります。私たちは、自分たちがアメリカ人であり、この危機的状況において国のために自分の役割を果たすということを、疑いの余地などないほどに示すべきなのです。

The Washington Post
日本語: THE LITTLE WHIM 訳

※ 赤白青はアメリカの星条旗の色であり、それを身にまとうことで愛国心を表明するさまの比喩的表現

ここに書かれているヤン氏の提案自体が、間違っているわけではない。助け合いの時であるし、できることに尽力するべきであることにはなんの反論もない。

しかし、だ。アジア系アメリカ人は、めちゃくちゃしゃかりきにアメリカ人らしさを発揮してがんばるべきだというメッセージは、違和感がある。赤白青の服を着て、どこからどう見ても愛国者であることを見た目でも明らかにするくらいにアメリカ人になって、認めてもらうのだ!と言わんばかりに。それって、誰/なにに評価してもらうことを意味するのか、明らかではないか。

先ほどのイノウエ氏の箇所でも書いた一文…… もし大多数の「普通の」アメリカ人だったら、ここまでのことをしなくてもよかったのではないか。…… これと同じことなのだ。

若いイノウエ氏の生きた時代を知らない私には、当時を後から知ったこととして解釈することしかできない。しかし今もまた、世界大戦ではないとはいえパンデミックという危機を迎えた際に、アジア系アメリカ人は求められるアメリカ人らしさを強めることが望ましいとされるのか…。

しかもそれが、アジア系アメリカ人に向けた、アジア系アメリカ人の政治家・権力者による言葉であることに、私はさらに苦しさを覚える。アイビーリーグ大学出身で法律家・実業家として成功したヤン氏は、白人中心の社会の中で求められる自らの像を(きっと)ある程度理解しつつ、うまく適応し努力が続けられたアジア系アメリカ人だから、今の地位がある。そうとは限らない状況にあるアジア系の人々も現にいるなか、そこにたどり着くための「努力すれば認められる」が、彼の言うこれだとしたら、それはイノウエ氏の頃となんら変わっていない。

今もなお続く、誰か/なにかによって自分たちの理想的な姿がなかば強制的に作り上げられ、それで成功が決まるような社会を変えるリーダーが、アメリカのアジア系コミュニティには必要なんじゃないの?

4枚目のスライドの “END WHITE SUPREMACY TO STOP ASIAN HATE” (アジア人嫌悪を終わらせるには、白人至上主義の終結を)には、頷きしかない

ハワイには、日本をはじめアジアからの移民や移住者がたくさんいる。ハワイほどではないが、ニューヨークも東海岸の都市としては多い。

私もその一部を構成する人間として、ホノルルの空港の名前にまでなった過去の日系アメリカ人の歴史を知り、同じもしくは近いコミュニティに存在する人々のアメリカでの「努力すれば認められる」の歪みを、感じた。歴史上のことを介してではあっても、それがさほど変わっていないことは、私たちが今も抱えている課題であることも。

空港の名前をアップデートすること

ここまで、アメリカの日系やアジア系のコミュニティの視点から書いてきたけれど、次は、オアフ島の空の玄関である国際空港の名前が変わること自体についても考えたい。

日系やアジア系の移民が多いハワイで、その特定のコミュニティの歴史や文化の継承や、社会貢献の尊重は、重要だ。コミュニティ内の誇りや結束を強くするとともに、その土地で祝福されていることの表れでもある。

しかし一方で、移民である日系二世を讃え空港の名をアップデートするということは、当然ながらその前にあった名前は上書きされるということでもある — ハワイ先住民の言葉に由来する名前が

ホノルルという名は空港に限らずオアフ島の市を示すものであり、広く知られている。空港の名が変わっただけで忘れられるものではないだろう。私が気になってしまうのは、名前のアップデートそのものがなにを意味しかねるのか、という可能性だ。

アメリカ本土でも、改名はある

アメリカ本土にも、アメリカ先住民の言葉が使われている州、都市、川や山などの名前はある。わかりやすい例だと、南部の州ノースダコタやサウスダコタなどの Dakota、同じく南部にある川や州の名である Mississippi、有名な大都市の名前でも、Chicago や Seattle など多数ある。こういったものは、よほどなことがない限りそのまま使われるであろう。

一方で、もう少し規模の小さい固有の名称、たとえば道路や橋の名前などは、変更されることは決して珍しくない。ニューヨークに住む私にとって記憶に新しいものに、州北部のハドソン川を渡る大型鉄橋 “Tappan Zee Bridge”(タッパンジー橋)の名称変更がある。

Tappanzee Bridge Main

image via American Bridge

Tappan Zee Bridge は1950年代に開通した橋で、現地の先住民族の名前である Tappan と、オランダ語で海を意味する Zee を掛け合わせて名付けられた(結合させたこの名前もそもそも、植民地主義の歴史を強く感じさせるが… )。

しかしこの橋、近年大規模な改築がされたのち2018年に、以前のニューヨーク州知事にちなみ Governor Mario M. Cuomo Bridge に改名されたのだ(ちなみにこれは、Mario の息子である現ニューヨーク州知事 Andrew Cuomo が提案)。

参考資料:
Original Tappan Zee Bridge“, “Governor Mario M. Cuomo Bridge” (American Bridge)

これが当時、猛反対を呼んだ。2018年から続く署名は2021年現在も増加をたどっており、16万筆以上集まっている。

反対が多い理由には、スキャンダルを多く抱える現州知事への抵抗が強まっていることも背景にある。そういった政治的な立ち位置からの意見もあるが、しかし地元では、先住民族の名の継承を支持する声からの反発が強いと言われている。

参考資料:
Fight over Bridge Name: Is It the Tappan Zee or Mario Cuomo? 110K petition to Albany today” (lohud)
An 11th-Hour Push to Rename the Tappan Zee Bridge After Mario Cuomo” (The New York Times)

もちろん、先住民族の名を土地に残したからといって、そもそもその先住民への「真の」尊重が払われていなければ、それは名前だけの、ただのパフォーマンスに過ぎない。とはいえ、なにかの名前を別の名前で、特に先住民に関係のない言葉で上書きするのは、その土地に根付き残っている名前や言葉すらも奪うこととも考えられる。道路や橋のような、人々が日常的に利用するものの名前から感じとっていた先住民の存在をも、なかったことにしてしまいかねない。

マイノリティからマイノリティへの上書き

さらにもう少し… ニューヨークの橋も、ハワイの空港も、その土地出身の政治家の名前による上書きという点では共通する。しかし、上書きする名前は、ニューヨークの例は(イタリア系移民とはいえ)白人なのに対し、ハワイの例は日系、つまりは人種的マイノリティだ。

白人ではなく少数人種代表の名を冠するというのは、一見するとその地域におけるマイノリティの祝福のようだが、それが今の白人至上主義的である社会において一体どういうことかもう少し深く考えると、こわくなる。マジョリティ(白人)によるマイノリティ(先住民)の上書きと、マイノリティ(日系)によるマイノリティ(先住民)の上書き。この比較を露骨に表現すると、マジョリティ(白人)で上書きすると反発が強いかもしれないが、マイノリティ(日系)で上書きするのであれば、おおきく騒がれることなく、マイノリティ(先住民)の名前からアップデートしやすいのでは…。

いくつものマイノリティが存在するなかで、日系を含むアジア系を優位に立たせるモデルマイノリティの「神話」的概念を、ここでもまた思い知らされるような… これは、私の考え過ぎなのだろうか?

最後に

私は、ホノルルの新しい空港の名前に反対なわけでは、いっさいない。改名の意義はおおいに理解するし、史実の伝承になり、たくさんの人がなにか感じとるきっかけになると思う。現に私も、それがきっかけでこの記事を書いている。

ただ私自身が、先住民のものであるアメリカ本土に新しく移住した日本人として胸につかえているものが常にあり、その思考が大きく巡るきっかけになったので、記しておきたかった。これは、アメリカの白人至上主義の存在にはつねに挑戦していかなくては、たとえマイノリティ同士でも社会的に異なる人々と真に対等な関係性は築けないことの確認のようなもの。

ハワイで過ごした時間 — 複雑な歴史と多様な文化の理解・尊重」、またしても長くなったので今日はここまで。

書きたいテーマがほかにもあるのだけれど、自分のなかで処理がむずかしくて、投稿がいつになるか、そもそもできるのか、悩んでいるところです。

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